1944年9月-12月 第十一海防隊
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「第三号海防艦」の記事における「1944年9月-12月 第十一海防隊」の解説
1944年9月3日、モタ25船団護衛部隊3隻は高雄で編成中のタマ25船団の護衛に割り当てられることとなり、高雄行きを取りやめ基隆に回航されることとなった。本艦らはモタ25船団を基隆まで送り届け、4日高雄に入港。5日、第一海上護衛隊隷下に新編された第十一海防隊に編入。同日、タマ25船団(11隻)を護衛して高雄発。6日船団がアメリカ潜水艦の攻撃により損害を出したため、東港に退避。8日、引き続きタマ25船団を護衛してマニラへ向け東港発。9日、船団が再び損害を出したため、本艦は豊岡丸と満州丸の遭難者を救助し、10日ラポッグ湾に退避。11日ラポッグ湾を出港したが、ビサヤ諸島が12日にアメリカ艦上機の空襲を受けていたため、マニラ直行をとりやめて13日にスービック湾で仮泊。14日にはサンタクルスへ退避することとなった。17日、アメリカ艦上機によるビサヤ諸島に対する空襲が終わったためスービック湾へ向けサンタクルスを出港し、同日スービック湾に入港。18日に同湾を出港し、同日マニラに到着した。20日、マタ27A船団(6隻)を護衛して高雄へ向けマニラ発。21日、スービック湾沖でアメリカ艦上機の空襲を受け、対空戦闘を行う。この空襲で船団は全滅してしまい、本艦は戦死者2名を出し、僚艦の第5号海防艦は被爆して沈没した。同日、残された護衛艦艇はサンタクルスに退避。その後は22日サンフェルナンド、23日ラポッグ湾と避泊を繰り返し、26日高雄に入港した。29日、タモ26船団(9隻)を護衛して基隆へ回航。30日、内地へ向け基隆発。 10月6日、門司着。7日から18日まで呉海軍工廠で入渠し、修理を行う。18日門司へ回航し、モマ06船団の編成を待つ。22日、モマ06船団(11隻)を護衛してマニラへ向け門司発。船団は2隻を失い1隻が離脱しながらも27日基隆に入港し、31日高雄着。 11月1日、引き続きモマ06船団を護衛してマニラへ向け高雄発。途中サブタン島とサンタクルスを経由し、9日マニラ着。12日、マタ32船団(3隻)を護衛して高雄へ向けマニラ発。14日、アメリカ潜水艦群の攻撃を受けて第7号海防艦、鞍埼、海軍配当船第五雲海丸が相次いで撃沈され、残りの艦船は17日に高雄に入港した。11月20日、第130号海防艦(サンジャック在泊中)と第134号海防艦(泗礁山在泊中)が第十一海防隊に編入される。23日、タマ32A船団を護衛してマニラへ向け高雄発。途中枋寮、ムサ、ラポッグ湾、サンフェルナンドで避泊を繰り返し、30日マニラ着。 12月10日、第一海上護衛隊は第一護衛艦隊に改編。その他の12月中の行動は不明。
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1944年9月3日、モタ25船団護衛部隊3隻は高雄で編成中のタマ25船団の護衛に割り当てられることとなり、高雄行きを取りやめ基隆に回航されることとなった。本艦らはモタ25船団を基隆まで送り届け、4日高雄に入港。5日、第一海上護衛隊隷下に新編された第十一海防隊に編入、海防隊司令海防艦に指定され海防隊司令平野泰治中佐が乗艦した。同日、タマ25船団(11隻)を護衛して高雄発。6日船団がアメリカ潜水艦の攻撃により損害を出したため、東港に退避。8日、引き続きタマ25船団を護衛してマニラへ向け東港発。9日、船団が再び損害を出したため、10日ラボック湾に退避。11日ラボック湾を出港したが、ビサヤ諸島が12日にアメリカ艦上機の空襲を受けていたため、マニラ直行をとりやめて13日にスービック湾で仮泊。14日にはサンタクルスへ退避することとなった。17日、アメリカ艦上機によるビサヤ諸島に対する空襲が終わったためスービック湾へ向けサンタクルスを出港し、同日スービック湾に入港。18日に同湾を出港し、同日マニラに到着した。20日、マタ27A船団(6隻)を護衛して高雄へ向けマニラ発。21日、スービック湾沖でアメリカ艦上機の空襲を受け、対空戦闘を行う。この空襲で船団は全滅してしまい、本艦は機雷長職務執行以下戦死者4名を出し、僚艦の第5号海防艦も被爆して沈没した。同日、残された護衛艦艇はサンタクルスに退避。その後は22日サンフェルナンド、23日ラボック湾と避泊を繰り返し、26日高雄に入港した。29日、海老原海防艦長が喀血のため高雄で入院。同日、タモ26船団(9隻)を護衛して基隆へ回航。30日、基隆で臨時艦長を乗艦させ出港。 10月6日、門司着。7日から18日まで呉海軍工廠で入渠し、修理を行う。18日門司へ回航し、モマ06船団の編成を待つ。22日、モマ06船団(11隻)を護衛してマニラへ向け門司発。船団は2隻を失い1隻が離脱しながらも27日基隆に入港し、31日高雄着。 11月1日、引き続きモマ06船団を護衛してマニラへ向け高雄発。途中サブタン島とサンタクルスを経由し、9日マニラ着。12日、マタ32船団(3隻)を護衛して高雄へ向けマニラ発。14日、アメリカ潜水艦群の攻撃を受けて第7号海防艦、鞍埼、海軍配当船第五雲海丸が相次いで撃沈され、残りの艦船は17日に高雄に入港した。11月20日、第130号海防艦(サンジャック在泊中)と第134号海防艦(泗礁山在泊中)が第十一海防隊に編入される。23日、タマ32A船団を護衛してマニラへ向け高雄発。途中枋寮、ムサ、ラボック湾、サンフェルナンドで避泊を繰り返し、30日マニラ着。 12月9日、4隻を護衛して高雄発。10日、第一海上護衛隊は第一護衛艦隊に改編。11日、マニラ着。以後、12月中の行動は不明。
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