1944年7月-9月 第一海上護衛隊
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「第十六号海防艦」の記事における「1944年7月-9月 第一海上護衛隊」の解説
1944年7月1日、船団はパラオ行きとダバオ行きの二手に分かれ、本艦はセパ01船団を護衛してパラオへ向かう。4日、多摩丸が被雷沈没。残された護衛艦艇はそのままパラオへ向かい、5日パラオ着。以後19日までパラオからヤップへの物資輸送など、パラオ-ヤップ間を3度往復する。パラオ-ヤップ間の輸送に従事中の18日、第二海上護衛隊が解隊され第一海上護衛隊に編入。19日、パラオに帰着。20日、ダバオへ回航のため第6号海防艦とともにパラオ発。22日、ダバオ着。25日、Z258船団(6隻)を護衛してサンボアンガへ向けダバオ発。27日、サンボアンガ着。28日、C294船団(4隻)を護衛してサンボアンガ発。31日、セブ着。同日、第6号海防艦とともにセブを出港し、8月1日マニラ着。 8月2日、シマ02船団を救援するため第6号海防艦とともにパラワン島バクダナン湾へ向けマニラを出撃。3日、シマ02船団と合同。4日、シマ02船団を護衛してバクダナン湾発。5日、マニラに帰着。8日から9日にかけて、マニラ湾口で対潜掃蕩に従事。9日、マタ26船団(24隻)を護衛して基隆へ向けマニラ発。16日、第5号海防艦とともに陸軍徴傭船あさか丸を救難。17日、同船を伴い基隆着。20日、タモ23船団(14隻)を護衛して門司へ向け基隆発。26日、門司で同船団から分離して佐世保へ回航。27日から31日まで、佐世保海軍工廠で修理と整備を行う。 整備後9月8日まで佐世保に在泊し、門司に回航。9日、ミ船団の一つのミ19船団(19隻)を護衛して門司発。12日珍島、16日基隆を経由して18日に中継地の高雄に入港。ミ19船団はこれまでの航海で損害を出しており再編成未了だったため、本艦は25日、タマ27船団(11隻)を護衛して高雄発。途中サブタン海峡、アパリ、ラボック湾、サンフェルナンドと退避を繰り返し、10月3日までサンフェルナンドで待機し、マニラへ向かう。
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