1937年の橋
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かって入間川は釘無橋付近から直線的に東南東へ流れ、上尾市の境界の上老袋で荒川に直角に合流していて、元々は現在の橋が架かっている位置には入間川は流れていなかった。この流れは1680年(延宝8年)に松平伊豆守信輝によって河川改修されたもので、改修される前の入間川は入間大橋の西詰に存在する古川と称する廃河川や現在の古川排水路等に沿って流れていた。この河川形状のため荒川が氾濫する際、荒川からの逆流が頻発していたことから1920年(大正9年)より開始された荒川の河川改修の一環で、昭和初期に入間川の新河道が開削されて現在の位置を通るようになり、元の流路は廃川となった。かつての流路は市境と概ね一致し、荒川と入間川の合流点だった場所には河跡湖があり、三つ又沼ビオトープとして整備されている。1937年(昭和12年)8月26日下路単純トラス橋を持つコンクリート橋の永久橋として旧橋が架橋された。旧橋は現在の橋のやや川上側の位置にあった。橋長318.2メートル、幅員5.5メートル。橋の指導設計は金森誠之、施工は内務省が行った。橋の陸上部はRC橋で小規模な方杖ラーメン橋を連続したような構造で、横から見ると橋脚が「Y」の字型を有しているように見える。予算の制約があったらしく、当時としては単純明快で無駄のない造形をしていた。渡河部は古レール製の2連の下路式単純平行弦プラットトラス橋である。 取り付け道路は両岸側とも堤防に沿ってクランク状に右に左に急カーブしていた。なお、開平橋この当時はまだ冠水橋であった。 1969年(昭和44年)1月22日、大型車同士が橋上で行き違う際に西側のトラスが車両と接触したことで橋が破損して傾き、車両が川に墜落する事故が発生した。橋は復旧及び補修工事のため通行止めとなり、1600万円の費用を掛けて破損したトラスを取り除き、代わりに下路式プレートガーダー橋に改修し、同年6月15日復旧開通した。後年、橋が老朽化したためトラス橋の箇所は片側交互通行で使用された。朝夕の渋滞が酷く、当時の交通量は1日1万台以上にも上った。この橋は1984年の新橋が架けられた際に撤去され現存しない。橋の遺構や痕跡は残されていないが、取り付け道路は両岸とも完存している。
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