1937年の橋とは? わかりやすく解説

1937年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:21 UTC 版)

入間大橋」の記事における「1937年の橋」の解説

かって入間川釘無橋付近から直線的に東南東流れ上尾市境界の上老袋で荒川に直角に合流していて、元々は現在の橋かっている位置には入間川流れていなかった。この流れ1680年延宝8年)に松平伊豆守信輝によって河川改修されたもので、改修される前の入間川入間大橋の西詰に存在する古川称する廃河川現在の古川排水路等に沿って流れていた。この河川形状のため荒川氾濫する際、荒川からの逆流頻発していたことから1920年大正9年)より開始され荒川河川改修一環で、昭和初期入間川新河道が開削されて現在の位置を通るようになり、元の流路廃川となったかつての流路市境概ね一致し荒川入間川合流点だった場所には河跡湖があり、三つ又沼ビオトープとして整備されている。1937年昭和12年8月26日下路単純トラス橋を持つコンクリート永久橋として旧橋架橋された。旧橋現在の橋のやや川上側の位置にあった長318.2メートル幅員5.5メートル指導設計金森誠之施工内務省が行った。陸上部RC小規模な方杖ラーメン橋連続したような構造で、横から見ると橋脚が「Y」の字型を有しているように見える。予算制約あったらしく、当時としては単純明快無駄のない造形をしていた。渡河部は古レール製の2連の下路式純平行弦プラットトラスである。 取り付け道路両岸側とも堤防沿ってクランク状に右に左に急カーブしていた。なお、開平橋この当時はまだ冠水橋であった1969年昭和44年1月22日大型車同士橋上行き違う際に西側トラス車両接触したことで破損して傾き車両が川に墜落する事故発生した復旧及び補修工事のため通行止めとなり、1600万円費用掛けて破損したトラス取り除き代わりに下路式プレートガーダー橋改修し同年6月15日復旧開通した後年老朽化したためトラス橋箇所片側交互通行使用された。朝夕渋滞酷く当時交通量1日1万以上に上った。この1984年新橋けられた際に撤去され現存しない。遺構痕跡残されていないが、取り付け道路両岸とも完存している。

※この「1937年の橋」の解説は、「入間大橋」の解説の一部です。
「1937年の橋」を含む「入間大橋」の記事については、「入間大橋」の概要を参照ください。

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