かつての流路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 14:30 UTC 版)
長良川中流域の従来の河筋は、山県郡中屋で武儀川を合流して西へ流れ、太郎丸、高富、梅原を経て伊自良川を合流し、方県郡岩利で南流して交人、今川、折立、黒野を経て同郡木田村に至り、津保川の下流(後の長良古川)を合わせて南流し、尻毛、江口を経て、墨俣で境川(旧木曽川)と合流していた。 天文3年9月6日(1534年10月13日)の大洪水で、激流が中屋村から陸地を押し破り、戸田、側島を貫通して各務郡芥見まで新川を形成して津保川と合流し、二川一大河となって方県郡長良村に至り、厚見郡早田村字馬場で井水口を押し破って新川(井川、現・長良川本流)を形成し、早田、今泉、若木、池ノ上、東島、江口等の諸村を貫通した。また、この洪水以前は長良川の河道は厚見郡鏡島村東部を流れ、江崎村の東を経て下奈良村に至っていたが、この洪水後は今の川筋になったとされる。 慶長16年8月12日(1611年9月18日)の洪水で、長良村崇福寺前で決壊して方県郡鷺山、正木の南を流れる新川(後の長良古々川)を形成して本流筋となったが、漸次その河道が埋まるようになり、元禄、寛永の頃には水は主に井川に流れるようになった。寛永13年8月6日(1636年9月5日)の洪水で井川が本流筋になると、長良古川と長良古々川には洪水の時にのみ分流することとなった。 1921年(大正10年)に始まる内務省木曽川上流改修工事の一環として1933年(昭和8年)から井川(長良川本流)河道の拡幅工事と長良古川・長良古々川の分派口締め切り工事が行われて1939年(昭和14年)3月31日に竣功し、長良川中流域の河道は現在の姿になった。
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