1848年革命批判、反ユダヤ主義の深化
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「ブルーノ・バウアー」の記事における「1848年革命批判、反ユダヤ主義の深化」の解説
「ドイツにおける1848年革命」および「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」を参照 シュティルナーはヘーゲルのいう絶対精神を自我の所有するものと捉え、唯一者としての自我の哲学を展開した。それに対してバウアーは、ヘーゲルのいう絶対精神は「普遍的自己意識」であるとして、その獲得を主張したが、キリスト教がその障害になると捉え、国家と宗教の分離(政教分離)を主張した。 時代は反体制運動が声高に叫ばれ、1848年にドイツ三月革命が起きたとき、バウアーは、この普遍的自己意識の実体化にこだわり、中途半端な普遍的自己意識のままで反体制運動に参加している人間を「大衆」と呼び、これを痛烈に批判した。 革命の翌年の1849年に発表した『ドイツ市民革命論』でバウアーは、ドイツ3月革命について市民階級が国王と妥協して労働者を締め出したし、フランクフルト国民議会も旧体制の連邦議会を再生したものにすぎないと批判し、「ドイツ市民」を思考喪失者として批判した。 また、1848年ドイツ革命ではフランクフルト国民議会副議長リーサ−、治安委員会議長フェッシュホーフ、ジーモン議員、ヤコービ議員などユダヤ人政治家が活躍した。バウアーによれば、フェッシュホーフは皇帝位に代わって立ち、キリスト教を冗談とみなし、ウィーンをタルムードの占領権によって所有し、ジーモンを革命代表者とする顕彰運動のドイツ民族は代表者を生み出せず、歴史の目印をドイツ人はユダヤ人に借りなければならないという主張は厚かましいと批判した。バウアーは「革命は新しいものはなにも生み出さない。少なくとも、その怒りの爆発の瞬間には。それは、古い血の沸騰、歴史の下層の堆積物の露出、新しい時代のなかへの古代の闖入にすぎない」と革命思想を批判し、ユダヤ人が革命に期待しているのは自分の古代、自分自身だけであるとした。これ以降、反ユダヤ主義思想を鮮明にしていった。 バウアーはユダヤ的なあり方(Judentum)は単に宗教的教会だけでなく、人種的性質でもあるとし、ユダヤ人は扁平足で下半身はニグロ同様弱いのでしっかり立てず、分厚い皮膚と炎症性の血液からユダヤ人は「白いニグロ」といえるが、黒人の頑強さにも欠けており、「われわれは、ドイツの労苦とドイツの血でもって築かれているドイツ国家のなかのドイツ人にすぎない。そして、われわれはドイツ国家の名前を、世界の最も不良化した者たちの更生施設として貸すつもりは絶対にない」と主張した。バウアーによれば、ユダヤ的なあり方(Judentum)とは「現代の世界威力」「キリスト教世界の均一化」「一党派の手中にある議会の決定」を指し、キリスト教徒の政治家がその代表とされた。
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