黒澤プロダクション設立とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 黒澤プロダクション設立の意味・解説 

黒澤プロダクション設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 12:19 UTC 版)

黒澤明」の記事における「黒澤プロダクション設立」の解説

時代劇三部作3本目となる『隠し砦の三悪人』(1958年)は興行的に大ヒットし、第9回ベルリン国際映画祭監督賞と国際映画批評家連盟賞を受賞した。しかし、撮影予定より大幅遅延し、製作費も破格1億9500万円計上したため、黒澤作品にだけ高額な製作費が許されることについて社内外から批判出た1958年末に黒澤東宝との契約切れたが、東宝黒澤社内抱え込むのは危険としつつも、記録的ヒット作放つ黒澤との関係を完全に絶つことも得策ではないと考えていた。そこで1959年4月1日黒澤東宝折半出資して利益配分制による「黒澤プロダクション」を発足し東宝本社内に事務所設けた黒澤映画製作の自由を手に入れたが、同時に経済的責任背負うことになり、興行収入にも気を配らなければならなくなった1960年7月7日黒澤東京オリンピック公式記録映画監督依頼正式に承諾した準備向けて同年開催ローマオリンピック視察し、その公式記録映画ローマ・オリンピック1960』の撮影立ち会って入念に調査した。それを参考にして5億円超えとなる予算案組織委員会提出したが、2億5000万円予算案提示する組織委員会とは折り合いがつかず、1963年3月22日に「2億5000万円では理想的な作品は無理だ」として監督辞退した組織委員会与謝野秀事務総長の強い慰留もあり、組織委員会内の記録映画委員会委員として残留しその後与謝野からオファー受けたが、11月5日正式にオリンピック公式記録映画降りた黒澤プロダクション第1作悪い奴ほどよく眠る』(1960年)は興行的に失敗したが、その次に手がけた娯楽時代劇用心棒』(1961年)とその続編椿三十郎』(1962年)は、その年度の東宝作品で最高の興行収入記録する成功収めた前者ダシール・ハメット小説血の収穫』が着想の元となり、後者山本周五郎小説日日平安』を原作としている。どちらの作品も刀の斬殺音や血しぶきなどの残酷描写取り入れ従来時代劇映画形式覆すリアルな表現試みた。これが話題呼びその影響受けて残酷描写入れた時代劇数多く作られたが、後年黒澤は「非常に悪い影響与えてしまった」と述べている。その次に監督した天国と地獄』(1963年)はエド・マクベイン犯罪小説キング身代金』が原作サスペンス映画で、その年度の興行成績で1位を記録した黒澤プロダクション設立以後は、作品重ねるごとに興行収入記録更新したが、その分作るたびに製作費も巨額になった。『赤ひげ』(1965年)では製作期間2年に及び、予算過去最高の2億6600万円計上した。この作品山本周五郎の『赤ひげ診療譚』が原作であるが、一部ドストエフスキーの『虐げられた人びと』を元にしたエピソード挿入している。黒澤はこの作品を「僕の集大成」と語りテレビ放送普及日本映画観客数減少する中、スタッフたちの能力最大限引き出して映画可能性存分に追求しようとした。やはりその年度で最高の興行収入記録しキネマ旬報ベスト・テンでは1位に選出された。しかし、これが三船コンビ組んだ最後作品となった

※この「黒澤プロダクション設立」の解説は、「黒澤明」の解説の一部です。
「黒澤プロダクション設立」を含む「黒澤明」の記事については、「黒澤明」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「黒澤プロダクション設立」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黒澤プロダクション設立」の関連用語

黒澤プロダクション設立のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黒澤プロダクション設立のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの黒澤明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS