黄金の国・ジパングとは? わかりやすく解説

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黄金の国ジパング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:58 UTC 版)

マルコ・ポーロ」の記事における「黄金の国ジパング」の解説

マルコ・ポーロは、自らは渡航しなかったが 日本のことをジパング (Zipangu) の名でヨーロッパ初め紹介したバデル校正したB4写本では、三章わたって日本の地理民族・宗教説明しており、それによると中国大陸から1,500海里(約2,500km)に王を擁いた白い肌の人々が住む巨大な島があり、黄金宮殿豊富な宝石・赤い真珠類などを紹介している。1274年1281年元寇についても触れているが、史実反映した部分もあれば、元軍が日本の首都である京都まで攻め込んだという記述日本兵武器にしていた奇跡石など空想的な箇所もある。 「黄金の国伝説は、奥州平泉中尊寺金色堂についての話や遣唐使時代留学生持参金および日宋貿易日本支払いに金が使われていたことによって、広く日本金の国」という認識中国側にあったとも考えられるまた、イスラム社会にはやはり黄金の国を指す「ワクワク伝説」があり、これも倭国「Wa-quo」が元にあると思われマルコ・ポーロ黄金の国はこれら中国イスラム持っていた日本対す幻想影響受けた考えられる日本では偶像崇拝(仏教)が信仰されていることや、埋葬風習などに触れているが、これはジパング周辺の島々について概説的に述べられており、その範囲中国南北地域から東南アジアおよびインドまでに及ぶ。また、これらはフリーセックス的な性風俗ともども十字軍遠征以来ヨーロッパ人持っていた「富」および「グロテスク」という言葉彩られアジア観典型なぞったものと考えられる当時日中貿易杭州拠点行われていた。しかし1500海里という表現泉州から九州北部までの距離と符合しここからマルコ日本情報泉州得た想像される。「ジパング」の呼称中国南部の「日本国」の発音「ji-pen-quo」が由来思われる点がこれを裏付ける。この泉州一方でインド航路起点でもあり、マルコ日本情報イスラム商人らから聞いたのである可能性が高い。

※この「黄金の国ジパング」の解説は、「マルコ・ポーロ」の解説の一部です。
「黄金の国ジパング」を含む「マルコ・ポーロ」の記事については、「マルコ・ポーロ」の概要を参照ください。

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