黄金の夜明け団時代
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「マグレガー・メイザース」の記事における「黄金の夜明け団時代」の解説
1889年グリモワール『ソロモンの鍵』を翻訳・編集した。1890年ミナと結婚し、彼女はモイナ・メイザース(英語版)と改名した。1892年、メイザースはパリに妻と移ったが、生活は苦しく妻の友人のアニー・ホーニマン(英語版)に頼っていた。1892年メイザーズは「秘密の首領」とつながったと宣言し、黄金の夜明け団の第二団であるクリスチャン・ローゼンクロイツ伝説による「ルビーの薔薇と黄金の十字架団」に多くの儀式を提供するなど、同団の参入儀礼を構築した。1896年エドワード・ウィリアム・ベリッジ(英語版)と対立したアニー・ホーニマンを黄金の夜明け団から追放し、経済的に破綻する。1897年、ウェストコットが首領を辞任し、パリにいたメイザースが首領になった。そしてフロレンス・ファー(英語版)をイギリス代表とした。しかしアデプタス達は他のメンバーとの人格の衝突や、イギリスでの活動の頻繁な欠席のために、メイザースのリーダーシップに不満を募らせていた。また『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』を出版した。1899年、イシス・ウラニア神殿はアレイスター・クロウリーのアデプタス・マイナーへの昇格を拒否した。メイザースは決定を覆し、1900年1月16日にパリのアハトル神殿でそれを認め、ロンドンに戻ったクロウリーは承認を要求した。ファーはイシス・ウラニア神殿の閉鎖と、イギリス代表の辞職の意思を表明した。メイザースは、背後にウェストコットがいると信じ、シュプレンゲルの書簡は捏造と暴露した。3月3日、委員会が選出され、問題の完全な調査を要求したが、メイザースは証拠提出を拒否した。23日、メイザースはファーをイギリス代表から解任したが、逆に29日の総会でメイザースの追放が決定された。怒ったメイザースはクロウリーを派遣してブライス・ロードの神殿を奪取しようとしたが失敗した。メイザースは首領を解任され、団を追放される。
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