ポルトガルから伝来したことの意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:58 UTC 版)
「鉄砲伝来」の記事における「ポルトガルから伝来したことの意義」の解説
ヨーロッパでは、マルコ・ポーロが『東方見聞録』で「黄金の国ジパング」という名で日本国の存在を伝えて以降、その未知の島は旧来のヨーロッパに伝わる宝島伝説と結び付けられ、多くの人の関心を惹きつけた。しかし、この東洋の未知の島はその後約250年に渡って未知の島であり続け、天文年間にポルトガル人によってその発見が成されるまで、ヨーロッパで発行される世界地図や地球儀の太平洋上をあちらこちらへと浮動しながら描かれた。 中国で宋代に生まれた火器はトルコ・イラン系の火薬帝国や欧州へと広まり、各地の戦争で大量に使用された。東アジアでは、この火器普及の第一の波の影響で、先進的な火器を持つ大陸アジア(アッサム・東南アジア北部・明清中国・朝鮮)が海域アジア(低地ビルマ・アユタヤ・コーチシナ・南ヴェトナム・台湾・日本)を優越し封じ込めていた。大陸アジアである明が海洋アジアであるベトナムの胡朝を滅亡させた第四次北属期や、東南アジア諸国へと遠征した鄭和の大航海もこの時期であり、いずれも火器が重要な役割を果たした。ところが、大航海時代に入って海域アジアにはヨーロッパ、とりわけポルトガルからより先進的な火器がもたらされ、軍事的な優劣が逆転した。日本への鉄砲伝来は東アジアにおける火器普及の第二の波の時期に相当し、海域アジアでは戦乱が激化する一方で、例えば豊臣秀吉が朝鮮出兵するなど、大陸アジアへの侵攻を可能とするほどの軍事力を持つことになった。
※この「ポルトガルから伝来したことの意義」の解説は、「鉄砲伝来」の解説の一部です。
「ポルトガルから伝来したことの意義」を含む「鉄砲伝来」の記事については、「鉄砲伝来」の概要を参照ください。
- ポルトガルから伝来したことの意義のページへのリンク