高野慎三による検証とは? わかりやすく解説

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高野慎三による検証

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/13 15:34 UTC 版)

猫町紀行」の記事における「高野慎三による検証」の解説

1976年 - 1977年当時高野慎三はつげの自宅旅行譚に明け暮れていたが、あるとき偶然に甲州街道話題上る上野原の町の一時代前の雰囲気魅力とともにつげ義春の口から出たのは犬目宿のことであった立石車で道に迷った際の話題であった鳥沢宿へ行った記憶確実にあるのだが、犬目野田尻に関して曖昧であった高野はつげとのこの会話から間もなく甲州街道踏査決意する1970年代のこの当時観光コースから外れた旧甲州街道旧街道、旧宿場雰囲気をよく残していた。その後、年に3-4回は通い、つげに踏査報告をした。1989年刊の『山野記』(梶井純菅野修、他共著)にはつげのエッセイ秋山村逃亡紀』が書き下ろされるが、その直前高野上野原を初訪し、同時に鶴川宿から野田尻宿までを辿り野田尻宿まっすぐに走る旧街道挟んで軒を並べる木造民家群に感動する。さらに高野野田尻宿真ん中に立ち、つげが『猫町紀行』で描写した宿場跡は犬目宿ではなく、ここに違いない直感する。高野偶然に1960年代甲州街道記録した書物の1冊として『甲斐路の旅』(浅野孝一)というガイドブック持っていたが、山の紹介が主のその書物中に旧甲州街道情景にも言及した箇所があり、『猫町紀行』の読後改め本書を取だしてみると犬目宿跡の写真紹介されているのを見つける。『猫町紀行』の中の犬目宿描写に「どこかでその風景出会ったことがある」と思いだしたからに他ならなかった。高野明らかに猫町紀行』に描写され情景野田尻宿のものだと推察したが、『猫町紀行』の中の「急に目の前にした光景見てことさら別世界に、人里はなれた隠里迷い込んだように思えたのだった」という記述強く惹かれる野田尻から徒歩で20-30分街道西進する旧道は人一人がやっと通れるほどの細道となり、南側が目も眩むほどの断崖絶壁の「座頭ころばし」と呼ばれる難所がある。そこを過ぎると淋しい村落新田があり、犬目宿になる。しかし、犬目宿1970年大火で町ごと焼き尽くされその際には八王子からも真っ赤な夜空見えたほどであった。従って、『猫町紀行』で描写されたような情景はもともと存在しなかったことが判明する高野は、つげが見た情景犬目ではなく野田尻であった確信する。『甲斐路の旅』には、大火前の犬目宿様子写真記録されているが、舗装され以前雨降り後の街道泥んこで、宿内の両側には街道時代のままの民家並んではいるが、さびれた感じ強く下町路地裏のような賑やかさ」からはほど遠く寂寥感だけが漂っていた。高野最初に訪問したのは2月であったが、「夕餉前ひとときといったのどかさ」もなく、ひたすらわびしい気配だけがあった。その後高野犬目宿4度訪問している。

※この「高野慎三による検証」の解説は、「猫町紀行」の解説の一部です。
「高野慎三による検証」を含む「猫町紀行」の記事については、「猫町紀行」の概要を参照ください。

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