高野朝臣の賜姓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 17:37 UTC 版)
高野朝臣の改賜姓は、新笠の埋葬記事に宝亀年間(770年 - 781年)に改めたとあるが、『続日本紀』にはこれに対応する記載がない。ただ宝亀9年(778年)1月の叙位記事に高野姓で記載されるため、これ以前であったと思われる。高野朝臣姓は乙継と新笠の父娘2人にのみ賜姓され、生者は新笠のみが賜姓された可能性もある。後宮の后妃への賜姓という稀な例である。 「高野」の字(あざな)は現在の奈良市高の原に比定される。宝亀年間に孝謙・称徳天皇陵(高野陵)が置かれ、孝謙・称徳天皇は「高野天皇」「高野姫天皇」と称された。高野朝臣への改賜姓は、宝亀3年(772年)に聖武天皇の血統である皇后・井上内親王、皇太子・他戸親王が廃され、山部親王(桓武天皇)の立太子に係るもので、新たな皇太子の母・新笠が聖武天皇嫡女の孝謙・称徳天皇に縁の姓に改めることは、皇太子を正当化するための措置、すなわち母を介して聖武皇統に繋がるための擬制的な作為だったのではないか、という説もある。
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