高濱年尾とは? わかりやすく解説

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たかはま‐としお〔‐としを〕【高浜年尾】

読み方:たかはまとしお

19001979俳人東京生まれ虚子長男稲畑汀子の父。虚子から俳誌ホトトギス」を継承して主宰著作に「年尾句集」「俳諧手引」など。


高浜年尾

高浜年尾の俳句

ここ涼しかしこ涼しと座をかへて
よき家に泊まり重ねて朝桜
会ひたしと思ふ人あり去年今年
全山の枯木となりし静かかな
其のちの噂聞きたしさくら餅
土佐は今二番苗代青田中
女房は下町育ち祭好き
屋根の雪ずりて厚さを見せてゐる
田植女が夕べの水に映り澄み
秋風や竹林一幹より動く
紫は水に映らず花菖蒲
苗代の籾に抱きつく源五郎
車窓仮睡アイスクリーム売よぎる
遠き家の氷柱落ちたる光かな
黒きもの暗に飛び行く焚火かな
 

高浜年尾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/09 07:14 UTC 版)

高浜 年尾(たかはま としお、1900年12月16日 - 1979年10月26日)は、俳人[1]。ホトトギス代表[1]。俳人高浜虚子の実子。「年尾」の名は正岡子規の命名による。

経歴・人物

東京市神田区猿楽町に虚子・いと夫妻の長男として生まれる。開成中学校から小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)に進む。小樽高商時代は同期に小林多喜二、1期下に伊藤整がおり、全員でフランス語劇に出演したこともある。卒業後、旭シルクに入社する。のち転勤により兵庫県芦屋に転居する。句作は父虚子の手ほどきを受けて中学時代から始めていたが、この時期に一時中断、1938年に『俳諧』を発行し連句をはじめる。「俳諧」は俳句、連句俳文俳詩俳論などのほか俳句の英・仏・独訳を載せるなど意欲的な俳誌であった。

1939年、旭シルクを退社し以後俳句に専念、関西の俳壇の中心として活躍する。1944年戦時下の物資不足のため『俳諧』を『ホトトギス』に合併させる。1951年『ホトトギス』雑詠選者。1959年朝日俳壇および愛媛俳壇選者。同年虚子より『ホトトギス』主宰を継承する。1979年10月26日死去、78歳。死後『ホトトギス』主宰は次女の稲畑汀子に引き継がれた。句集に『年尾句集』ほかに『俳諧手引』などの著書がある。

趣味は文学運動[1]。宗教は仏教[1]。住所は兵庫県芦屋市月若町[1][2][3]

家族・親族

高浜家

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第15版 下』タ46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月14日閲覧。
  2. ^ 高浜虚子三代句碑(月若公園内)
  3. ^ 月若公園(兵庫県芦屋市)-日本1000公園
  4. ^ 『人事興信録 第13版 上』イ218頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月15日閲覧。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 稲畑汀子 編 『ホトトギスの俳人101』 新書館、2010年、76-77頁

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