高浜市立港小学校とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 高浜市立港小学校の意味・解説 

高浜市立港小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/24 23:06 UTC 版)

高浜市立港小学校
北緯34度55分00.1秒 東経136度59分06.0秒 / 北緯34.916694度 東経136.985000度 / 34.916694; 136.985000座標: 北緯34度55分00.1秒 東経136度59分06.0秒 / 北緯34.916694度 東経136.985000度 / 34.916694; 136.985000
国公私立の別 公立学校
設置者 高浜市
設立年月日 1976年4月1日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B123210007925
所在地 444-1324
愛知県高浜市碧海町4丁目1番地7
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

高浜市立港小学校(たかはましりつ みなとしょうがっこう)は、愛知県高浜市碧海町にある公立小学校である。

地理

港小学校の学区は高浜市の南端に位置し、南側は高浜市と碧南市の境界である。学区は高浜市の中でも工業を主とする地域であり、1982年(昭和57年)時点では人口のうち60%が地場産業である窯業に関わっていた[1]。敷地の北側には愛知県高浜高等技術専門校があり、敷地の南側は高浜川が流れている。北西300mにある碧海公園には、高浜市立図書館、高浜市体育センター、高浜市立武道館、野球場、碧海テニスコートなどがある。学区内には衣浦湾に面する田戸之浦があるが、本能寺の変の際には伊勢国から乗船した徳川家康がここで上陸して、岡崎城まで逃れたとされる[1]

歴史

年表

沿革

最大時には児童数2000人以上に達していた高浜市立高浜小学校マンモス校化の解消のために、1976年(昭和51年)4月1日に高浜市4番目の小学校として高浜市立港小学校が開校した[2][1]。開校当初の学級数は15学級であり、児童数は501人だった[2][1]。高浜市の地場産業である窯業三州瓦)の衰退により、1995年(平成7年)には330人にまで減少したが、1996年(平成8年)に行われた学区の調整により、1997年(平成9年)には388人となっている[2]

児童数の変遷

『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[3]

1977年(昭和52年) 460人
1987年(昭和62年) 460人
1997年(平成9年) 388人
2007年(平成19年) 334人
2017年(平成29年) 426人

脚注

  1. ^ a b c d e 『校区の歴史散歩』東洋経済出版社、1982年、p.543
  2. ^ a b c d 『新学制実施五十周年記念 愛知県小中学校誌』p.716
  3. ^ 『新学制実施七十周年記念 愛知県小中学校誌』

参考文献

  • 『新学制実施五十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、1998年

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高浜市立港小学校」の関連用語

高浜市立港小学校のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高浜市立港小学校のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高浜市立港小学校 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS