馬のタイプ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 20:33 UTC 版)
Clip パドヴァ(イタリア)の『ガッタメラータの騎馬像(英語版)』。ドナテッロ作、1447年。 当時、馬は品種を考慮されることはほとんどなく、代わりに馬の用途や身体的な属性を説明する「タイプ」によって定義された。その定義の多くは正確ではなく交換可能だった。おおよそ13世紀より以前において、血統はほとんど書き留められなかった。したがって、中世の馬に関する多くの用語は我々がこんにち知っているような品種を指すのではなく、むしろ外観や用途を表していた。 中世の馬の中でもっとも有名な一つは、戦争における能力で名高く賞賛されたデストリエ(英語版)(フランス語、古フランス語: destrier、英語: destrier (デストリア))だった。それはよく訓練されており、強さ、速さ、および機敏さが求められた。14世紀の文筆家は彼らを「背が高く、厳かで偉大な強さを持つ」と表現した。現代の史料では、デストリエはその大きさと名声により、「グレートホース」として頻繁に言及された。主観的な言葉では実際の体高や体重についての確かな情報は得られないが、当時の平均的な馬は12 - 14ハンド(48 - 56インチ、122 - 142センチメートル)であったことから、中世の基準による「グレートホース」は、我々現代の目には小さく映るかもしれない。騎士と重装騎兵(man-at-arms、マン・アット・アームズ(英語版)、重装兵)に非常に珍重されたが実際にはあまり一般的ではなく、ジョストにもっとも適していたようである。 コーサー(英語版)(courser)は軽く、速く、強かったので、一般的に厳しい実戦に好まれた。彼らは貴重だったがデストリエほど高くはつかなかった。狩猟のためにもよく使われた。 より汎用的な馬はラウンシー(英語版)(rouncey または rounsey)で、乗用馬としての保有や、戦争のための訓練を行なうことができた。それは通常、従騎士、重装騎兵、またはより貧しい騎士に使用された。裕福な騎士であれば従者のためのラウンシーを保有していたと推測される。ときには予想される戦争の性質が馬の選択を決定した。1327年に戦争への召集令がイングランドで出されたとき、むしろデストリエよりも素早い追跡のためにラウンシーを明確に要求した。ラウンシーはときに荷馬として使用された(しかし荷馬車馬としては決して使われなかった)。 良質なポールフリー(英語版)(palfrey)は価格でデストリエに匹敵し、乗馬、狩猟、および儀式での使用のために貴族と高位の騎士に好まれた。滑らかな歩様が騎乗者を比較的快適に長距離を素早く進ませることを可能にしたので、アンブルはポールフリーの望ましい特性だった。ほかの馬のタイプには、バルブとアラブの血統から最初にスペインで育種された小型の馬、ジェネット(英語版)(Jennet)などがいた。大きさのみならず穏やかで従順な気性が女性の乗用馬として好まれたが、スペインでは騎兵の馬としても用いられた。 ホビー(英語版)(hobby)は、スペインまたはリビアの(バルブ)血統からアイルランドで開発された、およそ13 - 14ハンド(52 - 56インチ、132 - 142センチメートル)の軽量馬だった。このタイプの速くて機敏な馬は散兵戦に好まれ、しばしば「ホブラー(英語版)(hobelar)」として知られる軽騎兵に騎乗された。ホビーはイングランドのエドワード1世がスコットランド(英語版)へのアイルランドの馬の輸出(英語版)を阻止することで優位に立とうとしたスコットランド独立戦争のあいだ両陣営によってよく使用された。ロバート・ブルースはゲリラ戦でホビーを用い、1日に60 - 70マイル(97 - 113キロメートル)進んで襲撃を仕掛けた。
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