領有関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 16:36 UTC 版)
戦前からコンブのよく取れる海域とされていた。 1945年(昭和20年)9月27日、マッカーサー・ラインが設定され、日本漁民が自由に出漁できる範囲とできない範囲とが分離された。北方周辺海域では、ラインは納沙布岬と水晶島の中間に引かれたため、貝殻島周辺は日本の海域となる。 1948年(昭和23年)12月、GHQは米駆逐艦コワゾール号で再調査した結果として、マッカーサー・ラインを納沙布岬と貝殻島の中間に引きなおす。この結果、貝殻島周辺はソ連の海域となり、漁民は危険を覚悟で操業を続けたため拿捕が相次いだ。マッカーサー・ラインは講和条約発効3日前に廃止されたが、中間ラインと言う事実上の国境として残された。 1957年(昭和32年)、ソ連国境警備隊が上陸する。旧日米安保条約は現行安保条約と異なり、日本を防衛する義務をアメリカに課しておらず、米軍は出動しなかった。 1963年(昭和38年)、日ソ(日ロ)貝殻島昆布採取協定が結ばれる。以降ソ連(現在はロシア連邦)に入漁料を支払ってコンブ漁を続けている。 1991年(平成3年)、ソビエト連邦の崩壊後に成立したロシア連邦が実効支配を継承。 現在もロシア連邦が占領・実効支配しているが、日本も領有権を主張している。当該地域の領有権に関する詳細は北方領土問題の項目を、ロシア側の現状などに関してはサハリン州の項目を参照のこと。
※この「領有関係」の解説は、「貝殻島」の解説の一部です。
「領有関係」を含む「貝殻島」の記事については、「貝殻島」の概要を参照ください。
- 領有関係のページへのリンク