音楽的趣味と作品・審美眼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 05:51 UTC 版)
「アルマ・マーラー」の記事における「音楽的趣味と作品・審美眼」の解説
アルマは多感な時期に、ワーグナーの楽劇にあこがれて作曲家をめざそうとした。このように元々はオペラ少女であったが、器楽曲を知るようになってから尊敬したのがブルックナーとその交響曲だった。厳格で辛辣な教師として知られたツェムリンスキーの教えによって、ある程度まで是正されたようであるが、それでもなおアルマの音楽的な趣味や作曲の傾向が偏っていたのは否めない。同時代の音楽や当時の最先端の音楽に対する関心はあったものの、ブラームスに対する無理解や、ハイドン以前の音楽に対する関心の低さは生涯変わらなかった。 ツェムリンスキーに師事するようになってからヴェルフェルと再婚するまでの間に、アルマが断続的に作曲したのは、現在判明している限りでは歌曲しかない。自伝の中では器楽曲や室内楽の作曲にも取り組んだと訴えているが、遺品の中からつい最近に再発見されたものも含めて、現在のところ存在する作品は歌曲のみである。歌曲以外の新発見が今後全くあり得ないとは言えないものの、現在まで「物証として」判明している作品や記録が歌曲しかない以上、「器楽曲や室内楽の作曲にも取り組んだ」とする彼女の主張を補強する材料は乏しい。 アルマの作曲様式は、半音階技法や旋法性、頻繁な予備なしの転調を駆使して、機能和声法から離れようとするもので、その意味ではシェーンベルクの『グレの歌』より、和声的にさらに先を行こうとする激しい表現衝動が表れている。しかしアルマが実験的かつ意欲的に創作したのはツェムリンスキーに師事した時期の作品だけであり、マーラー没後もなお調性音楽から離れることができなかった。全生涯を通じてアルマの作曲した歌曲は、いずれもシェーンベルクの初期より先を出なかったと言わざるを得ない。旋律法において、アルマは朗々と歌い上げるような流麗な旋律を書くよりも、語の抑揚にしたがうことを好んでいる。 一方、アルマは同時代の音楽にも一定の理解と関心を保ち、新音楽の価値については慧眼ぶりを発揮した。夫マーラーが冷淡だったフランス音楽(とりわけドビュッシーとラヴェルの管弦楽曲)やストラヴィンスキーの(三大バレエ以降の)作品、シェーンベルクの初期作品のいくつかに、アルマは称賛を惜しまなかった。また、絶対音感と卓越したソルフェージュ能力に恵まれており、シェーンベルクが自作の無調の歌曲『心のしげみ』作品20をたずさえてアルマを訪問した際に、アルマはその自筆譜を視唱し、作曲者を驚嘆させたといわれる。
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