雲祥寺一戸彰晃住職との関わり
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「東国寺 (群山市)」の記事における「雲祥寺一戸彰晃住職との関わり」の解説
2012年5月23日、青森県・曹洞宗雲祥寺の一戸彰晃住職が「恥辱の36年、日帝強制占領期の歴史遺物展示会」に資料150点余りを寄贈した 。2012年9月16日、一戸住職は「東国寺を支援する会」代表として、「海外布教という美名の下に日帝が恣行した野慾に迎合し、数多くのアジア人たちの人権侵害と文化蔑視、日本文化の強要、尊厳の毀損などは仏教的教義に外れた実に恥ずかしい行為で、これを真心に謝罪して懺悔する。特に明成皇后弑殺の暴挙、創氏改名で国家と民族を抹殺してしまったが、曹洞宗はその尖兵であった。民衆に対する宣撫工作を担当して、自ら進んで諜報活動を行う僧侶さえいた。仏法を世俗法に隷属させて他民族の尊厳性と正体性を侵奪する過ちを犯したのだ。私たちは誓う。二度と過ちを犯しはしない」と刻まれた「懺謝文碑」(日韓対訳)を建立した。しかし、日本曹洞宗は「懺謝文」を内外に表明したにも拘わらず、同年、この建碑を不当として「東国寺を支援する会」に撤去を求めている。「著作権法」をその根拠としているが、「懺謝文碑」は既に東国寺に寄贈され、東国寺の寺院財産となっている以上、意味をなさない。 一戸彰晃が所属する包括宗教法人「曹洞宗」は、著作権者に無許可で抄訳で刻字した当寺の「懺謝文碑」を同文書の本来の目的と趣旨を逸脱した流用として公認していないその後、一戸と曹洞宗との協議や和解は行なわれていない。 2013年7月25日、前記の一戸住職の協力で東国寺に搬入された「双林涅槃相図」は16世紀の朝鮮仏画の可能性が高く、それが証明されれば韓国に存在する最古の横型涅槃図となる。 東国寺が所在する群山市は、大日本帝国統治時代の日本家屋が170戸残存している。文東信群山市長の方針である植民地時代を検証し記録する作業は韓国国民に評価され、群山近代歴史博物館は2011年開館以来3年間で436,000人の来館を記録した。東国寺は、なかでも当時を記録する寺院として日韓双方からの見学者が絶えない。 また、東国寺は「日帝痕跡」を文化空間とする市の方針により、近代文化都市造成事業を通じて全国的な注目を浴びる中核的な役割をはたし、群山市は年間100万人もの観光客を呼び込むようになった。 解放70年を期に、2015年8月12日、東国寺境内に韓国内11番目の慰安婦像も建立された。「東国寺を支援する会」は、慰安婦像建設に100万円寄付したが、韓国内外の像建設に日本人が協力した第1号とされる。
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