障害者権利運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 14:01 UTC 版)
さまざまな程度の麻痺を負った何千人ものポリオ生存者がリハビリテーション病院を退院し、家庭、学校、職場へと向かったとき、多くがアクセシビリティの欠如とコミュニティで体験する差別に対し苛立ちを感じた。20世紀の初期には、家庭や公共の場で車椅子を使用する見通しは極めて困難であった。車椅子を収容できる公共輸送システムは存在せず、学校を含むほとんどの公共施設は障害を持つ人々がアクセスできないものであったからである。ポリオで障害を負った多くの子供は「身体障害児」のための別の施設へ転向せざるを得なくなるか、階段を運び上げてもらう必要が生じた。 ポリオで麻痺を負った人々が成長するにつれ、彼らは社会の主流へ参入する権利を要求し始めた。ポリオ生存者は1970年代にアメリカ合衆国に出現した障害者権利運動でしばしば先頭に立ち、障害に基づく差別からの保護を定めた1973年リハビリテーション法や、1990年の障害を持つアメリカ人法といった法律の制定を推進した。ポリオ生存者に率いられた他の政治運動には、1960年代から70年代の自立生活運動やユニバーサルデザイン運動がある。 ポリオ生存者は世界で最大の障害者集団の1つである。世界保健機関は世界中に1000万から2000万人のポリオ生存者が存在すると推計している。1977年、アメリカ合衆国の国民健康調査 (National Health Interview Survey) は国内にポリオで麻痺を負った人々は25万4000人暮らしていると報告した。ポリオ支援団体や医師によると、さまざまな程度の麻痺を持つポリオ生存者が、ドイツには4万人、日本には3万人、フランスには2万4000人、オーストラリアには1万6000人、カナダには1万2000人、イギリスには1万2000人暮らしているとされる。
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