陸前高田市体育文化センター時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:14 UTC 版)
「陸前高田市立図書館」の記事における「陸前高田市体育文化センター時代」の解説
陸前高田市は1972年から1974年に22,562m2の公共施設建設用地を取得。1976年から1979年にかけて陸前高田市民体育館、陸前高田市中央公民館、陸前高田市立博物館を建設しており、1977年9月5日から1978年2月28日には891 m2の図書館を建設。総工費は1億2858万9000円。1978年3月12日に新館の開館記念式典を行い、10,870冊を備えて4月に開館した。新設された建物は鉄筋コンクリート造2階建であり、床面積は1階が477m2、2階が414m2で計891m2である。公共施設の集合体である陸前高田市体育文化センターは岩手県有数の施設として賞賛され、岩手県のみならず東北地方の各県や近畿地方などからも視察者が訪れた。 1階に学生閲覧室、児童閲覧室、研修室、閉架書庫・車庫などがあり、2階に一般閲覧室、研修室、貴重本書庫、ブラウジングコーナーなどがあった。1階には学生用の席が24席、児童用の席が24席設けられており、2階には一般用の席が36席設けられていた。1979年度の蔵書数は15,393冊、貸出冊数は13,955冊だったが、1984年度には蔵書数が28,533冊、貸出冊数が28,183冊、1988年度には蔵書数が36,426冊、貸出冊数が30,338冊と、9年間でそれぞれ2倍以上に増加している。 1985年頃には図書館と地元の郷土史家が協力して、吉田家文書の解読作業を開始した。1988年には1階の児童閲覧室に書架を設置し、1989年4月には1階に学生閲覧室と研修室を新設。1991年5月にはコピー機を導入し、1993年にはAV書架を設置したほかに国立国会図書館の図書館間貸出制度に加入した。1995年7月には中高生を対象としたヤングコーナーを設置。1997年の入館者数は30,368人、貸出冊数は67,540点であり、1人あたりの利用率は岩手県内で中位に位置していた。 2002年12月3日にはオンライン蔵書検索システム(OPAC)を導入。岩手県の63館中(分館を含む)32館目のコンピュータ導入事例である。コンピュータの導入によって貸出冊数が大幅に増加し、2002年度の貸出点数80,692点が2003年度には108,666点(1.35倍)となった。震災前の2010年4月時点の蔵書数は80,364点だった。 図書館とボランティアグループが協力し、読書ボランティアの育成、図書館でのおはなし会、学校や保育園での出前おはなし会、ワークショップ、講演会、ブックスタート事業など、特に幼児や小学生を対象とした支援活動を行っていたが、中高生への支援が手薄だとされていた。2007年に文部科学省が「子ども読書応援プロジェクト」の公募を行うと、「作家の出前授業」をメインとした0歳から18歳までのあらゆる子どもを対象とした活動を行っている。この活動の中ではアメリカ出身の詩人であるアーサー・ビナード、絵本作家の飯野和好、児童文学作家の斉藤洋などが講師を務めた。
※この「陸前高田市体育文化センター時代」の解説は、「陸前高田市立図書館」の解説の一部です。
「陸前高田市体育文化センター時代」を含む「陸前高田市立図書館」の記事については、「陸前高田市立図書館」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から陸前高田市体育文化センター時代を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から陸前高田市体育文化センター時代 を検索
- 陸前高田市体育文化センター時代のページへのリンク