長崎電灯の設立とは? わかりやすく解説

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長崎電灯の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:48 UTC 版)

長崎電気瓦斯」の記事における「長崎電灯の設立」の解説

長崎市においては、他の大多数都市同じく電気事業の方がガス事業よりも早く始まった。その電気事業端緒といえるのが、1886年明治19年8月行われた市内紡績工場長崎紡績所」におけるアーク灯試験的点灯である。諸説あるがこれが九州最初に点灯した電灯だとされており、東京電灯によって日本初め電気供給事業化される1年前のできごとであった長崎紡績所を経営する山口徳太郎はこの試験的点灯結果をうけてエジソン直流発電機購入し紡績構内電灯をつけるための本格的な自家発電開始した。 さらに山口は、長崎紡績所での自家発電留まらず長崎での電気供給事業起業図り佐賀県銀行家古賀祐一第七十二国立銀行取締役)を誘って1888年明治21年8月資本金7万円の「有限責任長崎電灯会社設立長崎県当局出願した。この申請間もなく認可され山口らは翌1889年明治22年2月には発起人総会開き3月より株式の募集始めた。ところがこの山口古賀派起業計画並行して第十八国立銀行(後の十八銀行頭取松田源五郎中心とするグループが「長崎自調電灯会社」という電灯会社1888年8月設立した事業領域重複する陣営対立し、やがて中傷合戦展開するまでに対立先鋭化してしまい電気事業起業動き一時停滞した松田らのグループ大阪電灯電気機器一切発注しており、当時同社販売代理店となっていたトムソン・ヒューストン・エレクトリック製の交流発電機導入する計画であった大阪電灯社長土居通夫起業計画進まないことから山口松田陣営仲裁乗り出しその結果陣営合同1889年8月長崎電灯株式会社設立された。資本金10万円。初代社長には土居が自ら就任し中立派吉川安之助が支配人として経営実務担当する体制とされたほか、山口松田陣営から同数ずつ取締役選出された。なお、土居社長在任期間半年のみで年内辞任している。その後1893年明治26年3月になって支配人吉川専務となった1895年6月まで在任)。 1890年明治23年3月機械一式長崎到着した。しかしこのころになると不況影響山口徳太郎長崎紡績所が破綻した)をはじめ離脱者が相次ぎ8月には資本金を8万円減資せざるを得なくなった。その上市内袋町(現・栄町)に発電所を置く予定であった火力発電による煙害忌避し町民により反対運動起きたため中止となり、平地少な土地柄から用地確保難渋して用地買収会社設立から3年経った1892年明治35年7月にまでずれ込んだ

※この「長崎電灯の設立」の解説は、「長崎電気瓦斯」の解説の一部です。
「長崎電灯の設立」を含む「長崎電気瓦斯」の記事については、「長崎電気瓦斯」の概要を参照ください。

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