松田源五郎とは? わかりやすく解説

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松田源五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 05:30 UTC 版)

松田 源五郎(まつだ げんごろう、1840年5月9日天保11年4月8日[1])- 1901年明治34年)3月1日[2][3])は、明治期の実業家政治家衆議院議員、長崎市会議長。

経歴

肥前国彼杵郡、のちの長崎県[2]長崎区(現長崎市[3])酒屋町[4]の鶴野家で生まれ[4]、貿易業の叔父・松田勝五郎の養子となる[4]。私塾で学び[2]、家業を継承した[4]

1872年(明治5年)永見伝三郎と共同で金融業・永見松田商会(立誠会社に改称)を設立し、のちに十八銀行に発展させ頭取に就任[4]。その他、小野組長崎支店支配人、東京築地活版製造所取締役、長崎商法会議所会頭、九州鉄道取締役、長崎電灯(のち長崎電気瓦斯)取締役、長崎製氷取締役、九州倉庫取締役、香港ローラ麦粉取締役、長崎貯蓄銀行頭取、石川島造船所(現IHI)監査役、東洋浚渫社長などを務めた[2][3][4]

政界では、長崎県会議員、長崎区連合町会議員、同議長、長崎市会議員、同議長を務めた[2][3][4]。1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(長崎県第1区、中央交渉会)で当選し[5]、議員倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任した[2][3]

1916年(大正5年)12月28日、従五位を追贈された[6]

家族

  • 庶子・松田精一(1875-1937)- 長崎商工会議所会頭、長崎貯蓄銀行頭取、長崎興業社長、十八銀行第5代頭取、東京築地活版製造所第6代社長[7][8]
  • 娘・サダ(1882-?)-台中県知事加福豊次の妻[9]

脚注

  1. ^ 『長崎県人物伝』臨川書店、1973年、p.941。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』599頁。
  3. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』419頁。
  4. ^ a b c d e f g 『長崎県大百科事典』803頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』12頁。
  6. ^ 『長崎県人物伝』臨川書店、1973年、p.945。
  7. ^ 松田精一『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  8. ^ 東京築地活版製造所歴代社長略歴古谷昌二「平野富二:明治産業近代化のパイオニア」平野富二の会
  9. ^ 『人事興信録 6版』松田精一

参考文献

  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『長崎県大百科事典』長崎新聞社、1984年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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