鎌倉を愛す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 08:04 UTC 版)
鎌倉文士と呼ばれた作家の中では、早くから鎌倉に住み始め、鎌倉をこよなく愛した。1933年には在住の大森義太郎、沢寿郎、木原清、清水康雄らと鎌倉アマチュア写友会を結成。戦前では、小説家仲間の久米正雄らと鎌倉カーニバルの企画にも携わっている。宅地開発ブームが鎌倉に押し寄せ、1964年(昭和39年)には鎌倉の聖域である鶴岡八幡宮裏山・通称御谷までが開発されそうになった時、地元の住民と一緒に、古都としての景観と自然を守ろう運動を起こした。そして、全国的な運動を展開し、小林秀雄、今日出海、永井龍男、鈴木大拙、中村光夫、川端康成、横山隆一、伊東深水、鏑木清方ら文化人と幅広い市民の協力を得ることが出来た。この中から、鎌倉の貴重な自然と歴史的環境は市民自らの手で守らなければならないという機運が生まれ、財団法人鎌倉風致保存会が1964年(昭和39年)12月に誕生した。その設立発起人及び初代理事となって、風致保存会の設立に大きな貢献をした。鎌倉風致保存会の精神的母体となった英国のナショナル・トラストの日本への紹介者ともなった。 これをきっかけに、1966年(昭和41年)に超党派の議員立法によって古都保存法が制定され、同年6月に御谷山林1.5ヘクタールの買収に成功。このことで、鎌倉風致保存会は日本のナショナル・トラスト第1号といわれるようになった。 瑞泉寺の再興にも戦後は努め、1949年に開祖夢窓疎石の夢窓忌六百年祭を機に、表千家師範の夫人がここで茶会を開き、その後毎年恒例で催された。 2019年11月時点で、鎌倉市雪ノ下にある、過去に大佛が所有し茶亭として使われていた茅葺屋根の建物が、1億5千万円で売りに出されている。1,043㎡の土地に立つこの建物は鎌倉市の景観重要建築物である。
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