鎌倉の自宅など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:28 UTC 版)
1936年、神奈川県鎌倉市の鎌倉山に3棟合わせて25部屋もある豪邸を建築し、マスコミなどから「絹代御殿」と称された。当時の鎌倉山は高級住宅地で、田中のこの自宅の西隣りには近衛文麿の別邸、東隣りには藤原義江邸があった。1949年に岩田宙造の別宅(山椒洞)を購入して移り住むが、1954年には、帝国ホテルを居所とし、「絹代御殿」を売却した。ちなみに1950年1月に大バッシングに遭った時は、マスコミを逃れて心身を癒すため数ヶ月間をここで静かに過ごしたという。その後1965年に鎌倉山に自宅を新築した。 田中の没後、小林正樹が「山椒洞を人手に渡したくない」として購入 し、料亭の檑亭別館として建物を保存していたが、店舗閉店後に檑亭の経営的理由で建物は解体された。その後みのもんたが自宅新築のため同敷地を購入し、現在(2021年)も暮らしているとのこと。
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