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鈴木省吾 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 00:32 UTC 版)

鈴木 省吾
すずき せいご
生年月日 (1911-08-07) 1911年8月7日
出生地 福島県岩瀬郡鏡石町
没年月日 (1999-10-04) 1999年10月4日(88歳没)
死没地 埼玉県大宮市
出身校 東京帝国大学農学部
所属政党 自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章

第44代 法務大臣
内閣 第2次中曽根第2次改造内閣
在任期間 1985年12月28日 - 1986年7月22日

選挙区 福島県選挙区
当選回数 5回
在任期間 1968年7月8日 - 1998年7月25日

在任期間 1952年 - 1968年6月12日
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鈴木 省吾(すずき せいご、1911年8月7日 - 1999年10月4日)は、日本政治家法務大臣(第44代)、参議院議員(5期)。位階正三位

来歴

福島県岩瀬郡鏡石町出身。旧制白河中学、1933年、東京帝国大学農学部卒業[1]。戦時中、大政翼賛会に入る。そのため、戦後、公職追放となる[2][3]。その後福島県議会議員を経て、1968年第8回参議院議員通常選挙福島県選挙区から自由民主党公認で出馬し初当選。

党内では清和会福田赳夫安倍晋太郎三塚博派)に所属し、参議院農林水産委員長を歴任。1985年12月から1986年7月まで第2次中曽根第2次改造内閣法務大臣を務めた。1995年春の叙勲で勲一等旭日大綬章受章[1]

1998年、当時いわき市長だった岩城光英に地盤を譲り政界を引退。1992年の再選から引退まで最年長参議院議員だった。1999年10月4日、老衰のため埼玉県大宮市の自宅で死去、88歳[4]。死没日をもって正三位に叙される[5]

出典

  1. ^ a b "鈴木 省吾". 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. コトバンクより2023年1月4日閲覧
  2. ^ 『鏡石町史 第1巻 (通史編)』、980頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、604頁。NDLJP:1276156 
  4. ^ “訃報”. 産経新聞. (1999年10月5日). オリジナルの2000年11月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20001116230000/http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9910/05/paper/today/dead/05dea006.htm 2023年1月4日閲覧。 
  5. ^ 『官報』号外第2734号7-8頁 平成11年10月21日号

参考文献

  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
  • 『鏡石町史 第1巻 (通史編)』鏡石町、1985年。
公職
先代
嶋崎均
法務大臣
第44代:1985年 - 1986年
次代
遠藤要
議会
先代
橘直治
参議院農林水産委員長
1977年 - 1978年
次代
久次米健太郎
名誉職
先代
八百板正
最年長参議院議員
1992年7月 - 1998年7月
次代
坂野重信



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