都市の概説
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2010年の都市的地域の人口は493万人であり、世界第60位、同国では第8位である。海抜600メートルの高原にあるため、大都市の富裕層の避暑地として発達した。金融と経済の中心であるムンバイの南170kmに位置し、インド国内の各主要都市と空路・鉄道・陸路で結ばれている。町の40% が緑に覆われ、インドでもっとも緑の多い街の一つであり、インドで最も安全な都市とも言われている。 18世紀には、ムガル帝国に代わってインドの覇権を握ったマラーター王国の宰相府があった。英領時代から「東のオックスフォード」「インドのオックスフォード」として知られる教育・研究の中心地で、インドで最も多くの研究機関が存在する。多くの有名な研究施設や高等教育機関があり、インド国内のみならず、世界中から学生が集まる。プネー市内にはインド最大の科学コミュニティが存在している。 また、工業やビジネスの中心でもあり、IT産業を中心にインドでもっとも目覚しい発展を遂げており、多くのIT産業やソフトウエア開発会社の本部がある。市内に国際レベルの教育施設が立地することから、インド政府は、プネーをIT開発の中心的都市と位置付けた。ハイテク機器のバンガロールとならんで示され、近年は「東のシリコンバレー」といわれている。PCの家庭普及率はインド全国1位で、インド国内での生活水準の高さを示している。 20世紀前半にヨーロッパに影響を与えた神秘家のメヘル・バーバーが過ごした。また、マハトマ・ガンディーが一時期監禁された場所でもある。
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都市の概説
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デリー首都圏を構成し、ニューデリーとオールドデリーに分けられる。ニューデリーの中にはニューデリー行政区があり、ここに連邦の首都機能がある。古くは現在のオールドデリーだけの町であったが、イギリス統治下の新しい首府としてニューデリーが建設された。イギリスの設計と建設による新都市部分をニューデリーと呼び、古くからある町をオールドデリーと呼んでいる。2019年の近郊を含む都市圏人口はおよそ2850万人であり、世界第3位の巨大な大都市圏を形成している。デリー首都圏の2014年の都市GDPは2936億ドルであり、世界第36位である。 デリー首都圏の行政機構改革により2002年以降に発行された『世界の国一覧表』(編集発行・世界の動き社、編集協力・外務省)においてはインドの首都が「ニューデリー」から「デリー」に修正され、この変更が文部科学省の学習指導要領にも反映されているため日本の教育現場ではインドの首都は「デリー」と指導されるようになった。ただし日本の外務省のサイト、インド政府の公式サイト、国連の地名標準記法一覧表では、首都は「ニューデリー」と表記されている。 デリー連邦直轄地とニューデリーの関係は、日本で言えば東京都とその1区域である千代田区のような関係に当たるが、ニューデリーの行政は後述のように都市圏の大部分を管轄するデリー市行政自治体(MCD)でなくインド政府の直轄組織として置かれているニューデリー市行政委員会(NDMC)の管轄下にあり、大都市の内部で独立した行政組織を持つ点はグレーター・ロンドンとシティ・オブ・ロンドンに近い構造とも言える。
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