都市の改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 01:15 UTC 版)
アナーニの城壁や都市は、紀元後1000年以上の長い間にわたって補修が繰り返されてきたが、大きな変化がもたらされたのは16世紀である。 1556年、教皇パウルス4世とスペイン王フェリペ2世が争い(イタリア戦争参照)、アナーニは戦場となった。アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレド率いるスペイン軍はアナーニを包囲して砲撃を加え、教皇軍の撤退によって町はスペイン軍によって占領された。アナーニの町、特に城壁は大きな被害を受けた。1564年には教皇ピウス4世によって都市の要塞化が図られたが、これによって都市の景観はさらに損なわれることになってしまった。 1579年前後に、この町の司教であり市長でもあったベネデット・ロメリーノ(Benedetto Lomellino)枢機卿によって都市と城壁の改修作業がはじめられた。改修が行われたのは短い期間ながら、建築構造や中世の建築・装飾様式を修復することを特徴として計画的に行われた。1633年頃に、大規模な建築物・都市の再建がはじめられ、アナーニの教会群の現在の景観を決定づけた。新たな建築規則では、既存のゴシック・ローマ建築はそのまま触れないこととされたが、古代の大邸宅は豪華な正面装飾を加えられて再構成されるようになった。都市の繁栄によって文化水準が再び高まる19世紀の終わりまで、建築物の変容は続いた。
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