運行開始、成功
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2004年(平成16年)10月より「田町ルート」と「赤坂ルート」の2路線にて運行を開始した。免許上は一般路線であり、富士急行グループとしては初の都区内での一般路線となった。当初は小規模な需要という観点から、小型のマイクロバスを使用することになった。 2004年(平成16年)度の累計利用者数は半年間で30万3千人となっていたが、翌2005年度には83万人を超え、年度を経るごとに利用者数が増加していった結果、2008年(平成20年)度には118万人を輸送した。しかし、これは利用者からは「いつも混雑している」という不満や、「利用者を区民に限定するべき」という意見が生じる結果にもなった。そこで、2008年(平成20年)度には中型バスの導入が行なわれた。
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運行開始、成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 19:23 UTC 版)
その後、モーターリゼーションの進展に伴い、地方の道路整備は急ピッチで行われることになった。本路線が運行されていた国道106号も例外ではなく、1970年代後半には全面的に完全舗装の2車線道路に改修され、カーブの改良やトンネルの新設などにより、走行条件は大幅に改善された。一方の山田線は、線形の悪さから大幅なスピードアップは難しい状況であった上に、国鉄のローカル線合理化の波を受けて運行本数が減少していた。県北バスでは、国道106号の全面改修を見据えて、この区間に「列車より速く、マイカーより快適」というコンセプトの急行バスを運行することを決定した。 使用車両はリクライニングシート・冷暖房完備・車内テレビを設置した最新型の観光バス車両を使用することとし、運賃は鉄道の普通運賃と同程度の1,600円に設定された。これは、当時地方のローカル線やバス事業者で冷房車は少なかったこと(当時の山田線は急行列車でさえ全車非冷房という有様であった)、都市部でさえようやく通常のバスに冷房の搭載が始まった時期であることを考えれば、破格のサービスレベルであり、少なくとも山田線の列車に対しては、スピード・値段・居住性のすべてを凌駕していた。また、当時のマイカーと比べても遜色のない快適性を確保するものでもあった。 また、盛岡に到着した夜行列車に接続して盛岡駅を6時に発車する などダイヤ設定にも工夫を凝らし、乗客が多い際には直ちに無線で続行便の手配を行い、着席も保証する方策を採った。 こうして、1978年(昭和53年)11月1日より、106急行の運行が開始された。 運行開始当初のダイヤは1日6往復であったが、利用者増に伴いわずか半年後の1979年(昭和54年)4月には2往復増便され、同年夏には季節運行便2往復も運行された。1980年(昭和55年)にはさらに4往復増便され、東北新幹線開業の直前の1982年(昭和57年)4月には1日14往復にまで増便された。
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