進歩ブロックの形成とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 進歩ブロックの形成の意味・解説 

進歩ブロックの形成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 11:34 UTC 版)

立憲民主党 (ロシア)」の記事における「進歩ブロックの形成」の解説

1912年の第4国会選挙ではオクチャブリスト議席減らし右翼勢力進歩党ロシア語版英語版)などが躍進したため、政局不安定化した。こうしたなか、党首ミリュコーフ党内多数支持得て政府に対してより急進的な要求を行うことを決めた同年11月15日開かれた国会において、カデット普通選挙出版結社人身の自由定めた法案提出した。さらに翌年1913年1月末には、民主化実現まで、「権力にたいして和解しがたい反対派」となるべきであるというミリュコーフ演説が行われている。 この頃カデット右派指導者ヴァシーリー・マクラコフ(ロシア語版英語版)は、左派オクチャブリスト進歩党との連携によって国会内に「進歩ブロック」という大勢力を形成することを模索した。この構想1913年時点では実現しなかった。また、1914年第一次世界大戦開戦とともにカデット国内政治よりも戦争優先する立場をとって政府批判緩め、また帝政政府による動員体制構築協力している。 ところが、政府はますます国会軽視するようになり、これに対す反発から国会内ではふたたび自由主義勢力結集進んだ。そして、1915年8月25日にカデット・オクチャブリストその他の諸勢力からなる進歩ブロック」が実現した。これには全国会議422人中325人の議員参加したという。この「進歩ブロックにおいてはオクチャブリスト分裂影響で、カデット主導権を握ることに成功した進歩ブロック実質的な指導者カデット党首ミリュコーフとなった進歩ブロック政府国会との協調求め国民信任得られる内閣(信任内閣)の実現要請した。 しかし、帝政政府国会無期限停会をもってこれに応えた党内左派進歩ブロックからの脱退左翼政党との提携主張したが、これは少数意見とどまったカデット進歩ブロックに留まったまま、政府国会再開するのを待った。しかし、マンデリュシュタム(ロシア語版)やオブニンスキーらモスクワの党グループ左派は、ミリュコーフに対して待機戦術放棄し、より急進的な闘争を選ぶように強く迫った1916年2月18日から21日にかけて、第6回党大会開かれた国内では第一次世界大戦におけるロシア敗勢皇帝不合理な統治継続などの問題生じており、党大会では左派右派がさらに激しく争ったミリュコーフら党の主流派は、政変戦争悪影響を及ぼすことを懸念し政府との全面対決には消極であった。その一方で党幹部のアンドレイ・シンガリョフ(ロシア語版英語版)が「国民気分近い将来考えるのがこわいくらいのものである国民苦悩憤懣限界来ている。(中略)われわれは極左派と完全に遊離するところまでゆくべきではない」と演説した。この演説結果左翼政党との連携視野入れつつ、政府との闘争続けるという方針決議される。 その後カデット政府との対決姿勢強め同年11月開かれた国会において、ついにミリュコーフいわゆる爆弾演説」を行い政府公然と批判した。この演説において、ミリュコーフボリス・スチュルメル首相怪僧ラスプーチンらをドイツの手先だとして激しく非難した。そして、政府数々失策について「これは愚かさか、または裏切りか?」と他の議員たちに問いかけたという。議員たちは「愚行だ!」「裏切りだ!」「その両方だ!」と応じた演説内容は全ロシア広まり反政府運動活発化大きな役割果たしたとされる

※この「進歩ブロックの形成」の解説は、「立憲民主党 (ロシア)」の解説の一部です。
「進歩ブロックの形成」を含む「立憲民主党 (ロシア)」の記事については、「立憲民主党 (ロシア)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「進歩ブロックの形成」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から進歩ブロックの形成を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から進歩ブロックの形成を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から進歩ブロックの形成 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「進歩ブロックの形成」の関連用語

進歩ブロックの形成のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



進歩ブロックの形成のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの立憲民主党 (ロシア) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS