進まぬ管理交渉(1977-2009)
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「御幸道路」の記事における「進まぬ管理交渉(1977-2009)」の解説
1977年(昭和52年)8月5日、保存会は伊勢商工会議所と今後の灯籠の管理について協議を行い、同年10月18日には伊勢市観光協会を含めた三者で協議が持たれたが、具体的な進展はなかった。1982年(昭和57年)には伊勢市当局が三重県や日本国の関係機関と灯籠に関する対策協議会を設置したが、ここでも成果を得ることができなかった。こうした中、伊勢市駅前から外宮前の道路(三重県道37号鳥羽松阪線)を4車線化するにあたって灯籠48基を移設することについて議論が行われたが、補強工事を行うことでそのままの位置での保存が決定した。 1989年(平成元年)には6月、9月、12月の三重県議会土木常任委員会の場で灯籠をどうすべきかが議題に挙げられた。1993年(平成5年)には神宮式年遷宮に合わせ、暫定的に表面の修復が行われた。1995年(平成7年)と2000年(平成12年)には国・県・市の三者協議が持たれたもののやはり事態の進展はなく、保存会との折衝は進まなかった。 2006年(平成18年)、遅々として進まなかった議論が動き出す。3月22日に保存会と「社団法人神宮環境振興会」(以下、振興会とする)の間で灯籠の管理等に関する合意書が締結されたのである。4月26日には振興会が神宮会館で会見を開き、灯籠の補修と周辺民有地の買い上げについて目途がついたと表明した。これにより、行政当局は交渉相手をようやく確定することができた。そして8月8日の伊勢市議会産業建設委員協議会において、「伊勢らしい良好な景観形成及び観光振興その他地域の活性化に資する」ために引き続き灯籠を設置すること、振興会に既存の灯籠を撤去させ、耐震性を確保した上で新しい灯籠を設置させることを決定した。この時、既存の灯籠は震度5強程度の地震、風速40m/s以上の暴風、自動車による衝突で倒壊する可能性があることと、国道・県道区間の道路占用許可が既に満了し放置されていること、市道区間については占用許可が「永続的」になっているものの占用者が解散した献燈会であるため責任者が不在であることが公表された。 2007年(平成19年)4月23日、伊勢市経営戦略会議において伊勢市としての灯籠に関する以下の3つの方針を示した。 伊勢らしい良好な風景を形成していく目的で建てられる場合は、景観形成という公益性の観点から認めていく。 新たな灯籠型街灯の設置にあたっては、安全性の確保を最優先とし、現在のものの撤去を最優先とする。 新たな灯籠型街灯の設置基数は、現在の基数を超えないこととする。 灯籠の新設の目途が付いたことから、2007年(平成19年)8月20日、伊勢市は伊勢市観光協会に対し道路占用許可を出した。
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