逮捕とFBIの情報提供者としての活動
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「ヘクター・ザビエル・モンセガー」の記事における「逮捕とFBIの情報提供者としての活動」の解説
2012年3月6日、ジャナ・ウィンター(英語版)が執筆しFoxNews.comで公開された一連の記事の中で、Sabuはヘクター・ザビエル・モンセガーであることが明らかになった。 連邦捜査官は2011年6月7日にモンセガーを逮捕した。翌日、モンセガーは、"Sabu"としての活動をしたままFBIの情報提供者となることに同意した。ジェームズ・パストーレ連邦検事補は2011年8月5日の秘密保釈公聴会で、「文字通り逮捕された日から被告は積極的に政府に協力していた」「時には徹夜で共謀者と会話をして、政府が彼らに不利な事件を作るのを手伝っていた」と語った。その保釈公聴会の数日後、モンセガーは、コンピューターハッキングに従事する共謀、詐欺を目的としたコンピューターハッキング、アクセス機器詐欺の共謀、銀行詐欺の共謀、加重ID窃盗など12件の刑事告訴に対して罪状を認めた。これらの罪状に対する処罰は、最高で懲役124年となる。 情報提供者として、モンセガーはFBIに詳細を提供し、これによりアノニマス、ラルズセック、アンチセックに関連する他の5人のハッカーの逮捕が可能となった。FBIは、ハッキングを行わせるための独自のサーバを提供した。モンセガーが提供した情報は、2人のイギリスのハッカー、James JefferyとRyan Clearyの逮捕にもつながった。 FBIはモンセガーを使って、セキュア通信ソフトクリプトキャット(英語版)の作者、ナディム・コベイシ(英語版)を陥れようとしたが、成功しなかった。 モンセガーは2012年3月6日まで逮捕前と同じ素振りを維持し、最後の最後まで連邦政府への「反対」のツイートをしていた。最終日のツイートには、「連邦政府は今この瞬間、令状なしで我々の生活を捜索している。裁判官の承認なしに。これは変えなければならない。今直ぐに。」「連邦政府はクソ臆病者の集まりによって運営されている。彼らに屈するな。反撃しろ。強くあり続けろ。」と呼びかけた。2012年3月6日、FBIはイギリスから2人、アイルランドから2人、アメリカから1人の計5人の容疑者の逮捕を発表した。 Sabuは、アノニマスと明示的につながっているわけではない。しかし、このようなハッカー集団のメンバーがどの程度重複しているのかは不明である。アノニマスは、Sabuのマスク解除とラルズセックの裏切りにTwitterで反応し、「アノニマスはヒドラだ。頭を1つ切り落とせば、後に2つ生えてくる」と述べた。 『ニューヨーク・マガジン』のスティーブ・フィッシュマンは、「インターネット上では、モンセガーは今や悪者扱いされている。ジェイコブ・リエスによれば、それは違っていた。彼を知っている人たちはショックを受けた。彼らは、彼は常に「他人に対して敬意を持っていた」と言った。しかし、彼らは少し誇りにも思っていた。彼らの目には、彼はプロジェクトで一定の成功を収めた子供のように映っていた。彼はやっと外に出てきたんだ」と語った。 2014年5月下旬に検察官が作成した法廷提出書類によると、モンセガーは逮捕後の2011年からの3年間で、NASAや米軍、メディア企業への計画的な攻撃を含む300件のサイバー攻撃を阻止していたことが明らかになった。提出された書類の中の判決メモには、「モンセガーの一貫した裏付けのある過去の情報は、彼の実質的・積極的な協力とこの事件で得られた他の証拠と相まって、逮捕時にFBIのサイバー犯罪の標的として世界第1位だったジェレミー・ハモンド(英語版)を含む8人の主要な共犯者の特定、起訴、有罪判決に直接貢献した」と書かれている。 モンセガーは逮捕後に7ヶ月間勾留され、2012年12月に保釈されていた。2014年5月27日の判決では、FBIに協力したことで大幅に減刑され、勾留期間をもって禁錮7ヶ月の服役を終えたものとみなされた。
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