逮捕されるためのデモ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/26 05:07 UTC 版)
「ジャナ・アンドラン」の記事における「逮捕されるためのデモ」の解説
民主化運動は下火になりかかっていた。当局の厳しい弾圧の中で民主化への熱は冷めかけていた。 ネパール会議派と、統一左翼戦線は民主化運動開始一週間目の日をブラックデーとして、デモを行うことにした。カトマンズでは市民に人気の高い反パンチャーヤト系の元市長・ハリボル・バッタライ(ネパール会議派)と統一左翼戦線の2人の国家パンチャーヤト議員のデモを計画した。メディアの前で逮捕されれば運動が盛り上がるという計算もあった。 デモの開始は予定より遅れた。警官の数があまりにも多く、商店はシャッターを下ろし、人通りはほとんどなかった。一方、ある地点には国内外のジャーナリストたちがカメラを持って待機していた。デモを待っていたのだ。3人は迷った末、たとえ3人だけでもデモを行おうと決心した。結局デモ隊3人と,それを追うジャーナリストの一群,そして警察だけのデモとなった。3人を4〜50人の警官が取り囲んで逮捕した。ハリボルらは留置場の中でBBCのヒンディー語国際放送で、自分たちのデモが報道されているのを聞くことになった。
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