逮捕と停戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:19 UTC 版)
「革命的労働者協会(社会党社青同解放派)」の記事における「逮捕と停戦」の解説
こうした凄惨で絶滅戦と語られた深刻な事件が続くものの、一進一退は続き、両者の労働者拠点学生拠点は次第に追い詰められて行く。そうした中、2001年(平成13年)2月16日朝の出勤時間、相模原にある赤砦社派活動家宅を公安私服部隊が徹夜で監視していた目の前で、現代社派の襲撃部隊を載せたバンが現れ、乗っていた4名全員が凶器車輛もろとも一網打尽に遭ってしまう。この未然逮捕は警察が前年の『片山殺害への報復』として起きた現代社派古参現役労組構成員への殺害(12月10日)を受けて現代社派が、必ず等価報復に出ると予測し、山田派労組幹部部分への隠密裏監視を行なっていたため成功した。結局、この逮捕により赤砦社派優勢が決定的となり、さらに同年12月8日の狭間の病死を受けて現代社派へのテロは終息したかのようにみえ、これ以降3年間内ゲバは起こらなかった。赤砦社派の矛先もイラク派兵への「飛翔弾ゲリラ」「時限式発火装置」など対権力ゲリラへと大きくシフトしていった。 内ゲバ戦争終結か、と思われたその矢先の2004年(平成16年)6月2日、東京三ノ輪のマンションにある赤砦社派アジトを出てきた3名のメンバーが現代社派テロ部隊の待ち伏せ攻撃を受ける。早朝、通学の小学生の前で出刃包丁やハンマーなどによる襲撃で、逃げ遅れた千葉大生の五十嵐(武本)全学連委員長、駒澤大生の小山(高山)元全学連書記長の2名が出血多量のためその場で絶命。学生運動中枢メンバーの殺害ということで同組織は混乱に陥った。この事件に対し、赤砦社派の対応は小さく、機関紙上で「今度(襲撃に)来たら死人の山となる」と発表した。これは読み方によっては報復を自分の側からはしない(できない?)との宣言にも受け取れ、事実現在も現代社派にはホコを納めたままでいる。また現代社派からの再度の内ゲバ襲撃も今の時点まで起こっていない。 結局、両派の内ゲバは99年5月両派の分裂以降、これまでに14件発生し、赤砦社派が5人、現代社側が5人、合計10人が死亡した。特徴的なのは「小型の出刃包丁」が主要な凶器として登場しており、コンパクトなわりには必殺の攻撃力も望めるらしく、警察が職務質問をかけたら、両派とも「防衛用」に携帯していたというカドでの「未然の逮捕例」が複数ある。
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