連邦建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 19:22 UTC 版)
「アメリカ合衆国の建築」の記事における「連邦建築」の解説
1801年から1809年まで第3代大統領を務めたトーマス・ジェファーソンは、建築を含む幾つかの領域に興味を示した。ヨーロッパに数回旅したので、都市や田園における公的・私的な建物にパッラーディオ様式と古風さの正式な形を採用することを望んだ。それ故に1817年に建設が始まったバージニア大学の計画に参画した。この計画はベンジャミン・ラトローブによって完成されたが、ジェファーソンの建築概念を適用できた。バージニア大学図書館はローマ・パンテオンからアイディアを得たドームを載せたロタンダの下に入っている。統一感を作り出したその組合せはレンガと白く塗った木材を使用したお陰である。バージニア州リッチモンドのバージニア州議会議事堂(1785年-1796年建設)では、ジェファーソンがニームのメゾン・キャリーの模倣に飛びついたが柱にはイオニア式を選んだ。啓蒙時代の人としてのジェファーソンは民主主義に仕える芸術の形という理想を実現することで、新世界建築の解放に参加した。ジェファーソンはその国で連邦様式開拓に貢献し、アメリカ独立で生まれた共和国の価値にヨーロッパの新古典主義建築を適用した。 ジェファーソンは技術を持ったアマチュア建築家であり、バージニア大学やその領地モンティチェロで独創的な建物を設計した。建設は1768年に始まり、修正は1809年まで続いた。このパッラーディオ様式建築の北アメリカ版はイギリスとアイルランドのモデルから借用し、ポルチコ(屋根のある玄関)を復活させた。このローマ的要素の興味は古代ローマ共和国をモデルとして見ている政治的風土に訴えるものがあった。 連邦様式は1780年から1830年まで大西洋岸で人気があった。連邦様式の特徴は新古典様式の要素、大きな窓のある明るい室内、白い壁と天井、および合理的要素を強調する装飾的だが抑えられた外観だった。連邦様式のその他の建築家としては、アッシャー・ベンジャミン、チャールズ・バルフィンチ、サミュエル・マッキンタイア、アレクサンダー・パリスおよびウィリアム・ソーントンがいた。
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