連続鋳造の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:56 UTC 版)
「ステンレス鋼の歴史」の記事における「連続鋳造の開始」の解説
溶解・精錬が終わった溶鋼は、最終製品に応じた形の半製品と呼ばれる塊へと冷やし固められる。現在の製造工程では、ほとんどのステンレス鋼は、溶鋼から直接・連続的に凝固させる連続鋳造で造られている。連続鋳造法実用化以前、ステンレス鋼の製造が小規模だったころは、割り型の器に溶鋼を注入してインゴットという塊をつくる方法が一般的であった。1960年代以前までは、インゴットを再加熱し、圧延機やプレスで成形して半製品にしていた。しかし、当時のステンレス鋼の溶鋼工程が進化を遂げたこともあって、造塊工程にも合理化・省力化が望まれていた。 連続鋳造法のアイデアは既に19世紀に発案され、非鉄金属での実用化は進んでいたが、鉄鋼材料に対する適用は進んでいなかった。近代的な連続鋳造法の基礎を確立したドイツのジークフリート・ユンハンス(ドイツ語版)が、1947年ごろから鉄鋼材料に対しても実用化が試みている。その後鉄鋼材料でも連続鋳造が実用化され始めるが、鉄鋼材料の中でもステンレス鋼への連続鋳造法適用は早かった。ステンレス鋼分野での連続鋳造は普通鋼分野よりも先に普及し、「連続鋳造の工業化はむしろステンレス鋼に始まる」ともいわれる。ステンレス鋼用の初の大掛かりな連続鋳造機は、カナダのアトラス・スチールによって導入された。1954年、アトラス・スチールがスラブ用の垂直型連続鋳造機を初めてステンレス鋼用に工業化した。その後1955年、日本の住友金属工業がビレット・ブルーム用の連続鋳造機を運転開始し、ステンレス鋼を製造した。これは、日本初の連続鋳造機運転開始であり、日本初の連続鋳造によるステンレス鋼製造でもあった。その後もステンレス鋼の連続鋳造の普及は日本が先行し、続いて北米、ヨーロッパ、発展途上国の順で普及していった。 ステンレス鋼で連続鋳造の普及が普通鋼分野よりも先行した理由としては、 ステンレス鋼の主な生産鋼種であった18-8ステンレス鋼は凝固過程で変態を起こさないため、冷却時に割れが起こりにくく扱いやすかった ステンレス鋼は高価な材料だったため、連続鋳造による歩留まり向上の効果が相対的に大きかった 当時は連続鋳造は少量生産用設備という位置付けで、これが当時のステンレス鋼の生産規模と合致していた といったことが挙げられる。連続鋳造の登場によってステンレス鋼の生産性は向上し、さらに材料中の成分の偏りが少ない品質の良いステンレス鋼を造ることができるようになった。
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