連続針金強盗殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/26 06:02 UTC 版)
「広島護送死刑囚脱獄事件」の記事における「連続針金強盗殺人事件」の解説
1897年(明治30年)3月30日、兵庫県神戸市の裁判所で貝原喜勢冶、福永友三郎、湊蔵貞、明石章吉の4人組に死刑判決が宣告された。4人は1894年ごろから近畿や四国において「剣術家の針金強盗団」と呼ばれた凶悪犯で、手口は資産家の家に押し入っては家人を針金で絞殺し金品を奪うもので悪質極まりないものであった。また4人は大阪弁を話し、剣術についてはみな免許皆伝の腕前であったといわれている。特に首謀者の貝原はかつて大坂与力同心剣道指南役であったと伝えられている。 4人の剣術の腕前が発揮されたのが警察との格闘であった。大阪府の玉造では包囲した警官隊を殺傷し逃亡したほか、高松市でも同様に警官隊10数人を負傷させ逃亡した。1896年12月末には兵庫県の阪神沿線にある某資産家の別荘を襲撃し、中にいた請願巡査2名を絞殺し多額の現金を奪った。この事態に兵庫県警察部は警戒網を敷いており、4人組は須磨で船頭に変装した腕利きの警察官に発見・包囲され、抜刀しての乱闘の上逮捕された。なお、この時も多くの警察官が負傷し、貝原は警察官1人を殺害していた。
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