農業に関する新法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 22:00 UTC 版)
「新法・旧法の争い」の記事における「農業に関する新法」の解説
青苗法(せいびょうほう)1069年(熙寧2年)9月に施行。宋代には天災による飢饉に対する備えや貧民救済のために穀物を蓄えておく常平倉・広恵倉というものがあった。しかしこれの運用がまずく、蓄えられている穀物が無駄に腐っていくことも多かったので、これを利用して農民に対する貸付を行った。 毎年、正月と5月に貸付を行い、基本は貨幣(これを青苗銭と呼ぶ)による貸付・穀物による返済であるが、望むものには穀物での貸付・貨幣での返済を認める。利息は3割と民間の高利貸しと大差が無い。 貸付にあたり、10戸が集まって1保を作り、この間で連帯保証を行う。これの実施のために、全国の路(宋の地方における最大行政単位)ごとに提挙常平司を置く。 募役法(ぼえきほう)1070年(熙寧3年)から開封周辺で試験的に運用し、1071年10月から全国的に施行。免役法とも言う。 従来の農民、主に形勢戸たちは政府の様々な雑用(職役)、州郡の倉庫管理・租税運搬・官の送迎などを課せられていたが、この負担は非常に重く、事故で損害があった場合は全てを補償せねばならず、何かと言えば官と胥吏に賄賂を求められる。一応政府からの支給はあったが必要な額はそれをはるかに超えていることが多く、これが元で破産してしまう形勢戸も少なくなかった。これを差役法と言う。 そこで職役を課す代わりにその分を貨幣(これを免役銭と呼ぶ)で収めさせ、それを使って人を雇い、職役を行わせる。また元々職役が免除されていた官戸・寺院・道観(道教の寺院)・坊郭戸(都市住民)・単丁戸(丁(働き手の男性)が一人しかいない戸)・未成丁戸(まだ丁になっていない子供しかいない戸)・女戸(女性しかいない戸)などからも助役銭と称して免役銭の半分を徴収した。 農田水利法(のうでんすいりほう)1069年(熙寧2年)11月施行。路ごとに天災などによって破壊された水田・水路・堤防などを復興し、農業生産の増大を大規模に行った。この業務は提挙常平司が兼任する。 淤田法(おでんほう)農田水利法の中で行われ、河川の泥水を田に引き込み、栄養豊富な泥を沈殿させて豊かな土地とするものである。 方田均税法(ほうでんきんぜいほう)1072年(熙寧5年)3月施行。田地を測量しなおし、税額のごまかしや隠し田を発見するためのものである。いわゆる検地。千歩(15.35m)四方を「方」という1単位にし、それを元に課税する。
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