軽自動車の対策 (SEEC-K)
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「SEEC-T」の記事における「軽自動車の対策 (SEEC-K)」の解説
スバルの軽自動車は1958年のスバル・360で初登場したEK31型以来、一貫して2ストローク直列2気筒を採用していた。当初強制空冷であったEK型は、吸気リードバルブの採用(EK32型)や水冷化(EK34型)といった進化を重ねていた。軽自動車の排出ガス対策自体は1971年式のスバル・R-2における空冷のEK33型より、チャコールキャニスターとアイドリングリミッターの装着という形で開始された。71年当時は原理上NOxの発生量が余り多くなく、原則として未燃焼ガス(ブローバイ)のクランクケース外への放出が起こり得ない(ブリーザーの概念が存在しないため)2ストロークの利点が排ガス対策として大真面目に喧伝されているような状況であり、R-2最終型およびスバル・レックスで採用されたEK34型は、1973年に軽自動車も対象に含める形で成立した昭和48年排出ガス規制こそ、前述の初歩の対策機器に加えて点火時期やスバルマチック分離給油機構(イタリア語版)のオイルポンプの微調整、温水式キャブヒーターの追加、排気デバイスの一種であるISV(アイドリング・サイレンス・バルブ)の採用などで乗り切れたものの、1975年に成立が予定された50年規制は2ストロークのままでは達成が困難であった。 翌76年の51年規制では2ストローク軽自動車向けの経過措置である暫定規制値(昭和50年暫定規制)が設定されたため、競合他社であるスズキやダイハツのようにひとまず2ストロークを継続しつつ並行して排ガス技術の開発を行い、2ストロークで規制適合を達成する道も残されていた。実際に当時のスバル社内では2ストロークのままでマスキー法をクリアすべく、機械式燃料噴射装置のガソリン直噴エンジンや、アフターバーナー方式による排ガス対策を試みたが、いずれの方式も当時の制御技術では排気温度の異常上昇の問題を克服できずに開発を断念、スバルは最終的に三菱やマツダと同じく4ストローク機関への全面転換を行う道を選択した。EK型の4ストロークへの転換はEK3x系の2ストロークエンジンを4ストロークへと再設計する手法が採られ、オイルポンプなどの油圧系統はEA型で実績のあったトロコイドポンプ、動弁機構はEA型よりも先駆けてタイミングベルト方式のSOHCを採用、4ストローク直列2気筒特有の振動は、フレデリック・ランチェスターが提唱したランチェスターバランサーを採用することで解決した。 この際、排ガス対策としてSEEC-Bの概念が移転され、軽自動車向けに「リードバルブ式二次空気導入装置+酸化触媒」の構成で新たに設計されたものがSEEC-Kの名称で用いられることとなった。360ccの4ストロークエンジン(EK2x系列)は、1973年10月より軽乗用車のレックスより採用が開始されたが、低速トルクの面で課題があったことから1976年の軽規格拡大 (550cc) までは、軽商用車のスバル・サンバーでは引き続きEK34が採用されていた。
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