軍事技術と組織
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/17 06:18 UTC 版)
北アメリカで用いられた軍事技術は、ヨーロッパと同程度には発達していなかった。アン女王戦争が始まった時点では、セントオーガスティン、ボストン、ケベック・シティーおよびセントジョーンズなどのほんのわずかの入植地が石造りの要塞を有しているにすぎず、ポート・ロワイヤルの砦は戦争初期に完成した。いくつかの境界地域の村は木の柵で守られていたが、多くは守備者が銃を撃つため銃眼がある程度でほとんど防備が固められていない木の家であり、下から侵入しようとする攻撃者に対して上から発砲するために2階が張り出した構造となっていた。ヨーロッパ人は最大射程がおよそ91メートル(100ヤード)の滑腔式のマスケット銃で武装していたが、最大射程の半分の距離を越えるとその命中精度は不確実だった。一部の入植者はまたパイクを運び込んでおり、一方でインディアンの戦士はヨーロッパ人から供給された武器もしくは、トマホークや弓矢のようなもっと原始的な武器で武装していた。一部の入植者は、カノン砲や他の種類の大砲を操作するための訓練を行っていた。これらは、重要な石や木の防衛施設を攻撃することができる、唯一の効果的な武器であった。 イギリス人の入植者は通常民兵隊として組織され、ニューファンドランドのいくつかの小さなコミュニティの範囲を超えての組織だった軍事プレゼンスは有していなかった。フランス人の入植者も民兵として組織されたが、彼らはラ・マリーン植民地軍(英語版)と呼ばれる常設の守備隊を有していた。この軍隊は一部の経験豊富な士官によって構成されており、フランス本国から送られてくる新人が配属されていた。その人員は500人から1,200人を数え、主要な人口集中地を中心にヌーベルフランスの隅々にまで配置されていた。スペイン領フロリダは、数百の正規軍によって守られていた。スペインは彼らの領土内でインディアンを制圧し、彼らに武器を提供しない方針だった。この方針は破壊的な結果をもたらし、戦前フロリダは8,000人のインディアン人口を抱えていたが、戦争初期のイギリスの襲撃によってその人口は200人にまで減少した。
※この「軍事技術と組織」の解説は、「アン女王戦争」の解説の一部です。
「軍事技術と組織」を含む「アン女王戦争」の記事については、「アン女王戦争」の概要を参照ください。
- 軍事技術と組織のページへのリンク