財閥としての飛躍とは? わかりやすく解説

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財閥としての飛躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:26 UTC 版)

安田財閥」の記事における「財閥としての飛躍」の解説

1887年明治20年)に安田保善社(現安田不動産)を設立して財閥の要とし、銀行業以外への拡張開始釧路硫黄山鉱山)と釧路鉄道函館倉庫にまで手を広げた。とくに硫黄火薬原料として海外向けて輸出しその資金財閥基礎を築くに至る。1893年明治26年)に帝国海上保険設立し損保業務充実をはかり、翌1894年明治27年)に共済五百名社を共済生命保険改組生保業務盤石期した同年には海運会社安田運搬事務所設立している。1896年明治29年)には不動産業務の東京建物設立し、翌1897年明治30年)に国産の洋釘を製造するために安田製釘所(現安田工業)を設立した同年、後の太平洋興発(三井財閥傍系)の前身となる安田炭鉱釧路設置した1899年明治32年)には拡大した事業統括するために安田商事設立し統率をとり、同年紡績業務として西成紡績所を設置した1904年明治37年)、関西松本財閥破綻処理政府要請されるも、不採算判断し拒絶するが、「天皇意向」と政府言い含められ、強引に引き受けさせられる松本財閥基幹銀行である百三十銀行建て直しに際しては、日本銀行の特別貸付600万円受けたため国民非難受けたが、元利そろえて返済したところ、安田財閥には、27万円損害残った。(『富の活動第四編) 釧路硫黄鉱山硫黄採掘集治監囚人酷使され多く犠牲者出した安田財閥発展を見るとき、安田善次郎同郷の人である浅野総一郎浅野財閥創始者)を無くして語ることはできない無一文から立ち上がった浅野総一郎対す善次郎助力並外れており、浅野財閥自体安田財閥事業部門あるかの如く鶴見埋立匿名組合(後の東亜建設工業)による京浜地区浚渫埋立事業(浅野埋立)や、浅野セメント(後の日本セメント、現太平洋セメント)や日本鋼管(現JFEスチール)への出資など、数々事業対す投資惜しまなかった。安田善次郎卓越した金銭感覚と、成功しない事業断定した者に対す厳しさから「天下一のしまり屋」として知られており、浅野対す投資は他の一般投資とは一線を画していた。

※この「財閥としての飛躍」の解説は、「安田財閥」の解説の一部です。
「財閥としての飛躍」を含む「安田財閥」の記事については、「安田財閥」の概要を参照ください。

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