財閥との対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 20:05 UTC 版)
「ウラジーミル・プーチン」の記事における「財閥との対決」の解説
エリツィン時代はエリツィンと側近および支持基盤の新興財閥「オリガルヒ」の時代であった。エゴール・ガイダル、アナトリー・チュバイスの急進的資本主義化は、混乱を招いていた。このような状況の中で台頭したのは国有財産であった企業を資本主義化の過程において、国有企業経営陣が、タダ同然で私物化して発生したのが、新興財閥オリガルヒである。オリガルヒはエリツィン政権と癒着して、出身企業以外の国有財産も買収またはタダ同然で払い下げを受けて私物化するようになり、エリツィン政権との癒着と、マスコミ支配によって政治的影響力を強めていった。こうした癒着は腐敗を生み、オリガルヒの納税回避により国家財政は危機に陥り軍の崩壊や金融危機の原因となった国債乱発を引き起こした。ガイダルの「中央銀行引き受け国債」乱発と急激な価格自由化はハイパーインフレを招き、年金生活者を中心に民衆が大打撃を受けたり、金融危機を招くなどロシア経済の混乱と国民の経済格差拡大を招いた。また中央が地方政府への補助を打ち切ったことと、ロシア連邦軍の崩壊のために中央集権の箍が緩んで、ロシアの各共和国は中央政府の威令を軽んじ 独立傾向を強めてロシアは第二次国家分解寸前の状況になった。 しかしエリツィンに首相として引き立てられたKGB出身のプーチンが大統領になると、プーチンは警察・軍出身者のシロヴィキを登用し、財政再建のため新興財閥オリガルヒの脱税を取り締まり始め、財閥と対決した。オリガルヒは所有するメディアでプーチンを攻撃したが、プーチンは脱税・横領などの捜査でウラジーミル・グシンスキーやミハイル・ホドルコフスキーといったオリガルヒを逮捕して制圧。恭順を誓った企業と和解し、恭順企業にメディアを支配させた。プーチンは企業の政治介入を排除し、恭順を誓ったオリガルヒに納税させ国家財政と崩壊寸前だったロシア軍を再建した。そして右派連合等オリガルヒ系政党を少数派に追いやり、与党・統一ロシア(前述の「統一」と「祖国・全ロシア」が合併して結成)に支持され権力を確立した。プーチン政権当初に首相を務めたミハイル・カシヤノフなど、プーチン政権内のオリガルヒと密接な関係にあるとされた政治家も遠ざけ、代わってシロヴィキやプーチンと同郷のサンクトペテルブルク出身者(サンクト派)を重用した。しかし、アルカディ・ローテンベルクとボリス・ローテンベルクのローテンベルク兄弟に代表されるようなプーチンと個人的に親しいオリガルヒは救済措置(ローテンベルク法)がとられるなど優遇された。
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