チャコ戦争後の不安定化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 04:37 UTC 版)
1936年 チャコ戦争後、白人寡頭支配層への批判が強まり、チャコ戦争の参謀総長だったダビッド・トロ・ルイロバ(スペイン語版)がクーデターにより大統領に就任。「軍事社会主義」(国家社会主義)を掲げた。 1937年 スタンダード・オイル社が国有化された。これは同時期の、メキシコ革命のラサロ・カルデナス政権による油田国有化に先立って、ラテンアメリカで初の外資国有化政策となる。この社会主義的政策は支配層に嫌われ、同年保守派によりトロは追放され、保守派の支持によりチャコ戦争の英雄だったドイツ系のヘルマン・ブッシュ・ベセラ(スペイン語版)中佐が大統領になるが、ヘルマン・ブッシュはすぐに保守派との戦いをはじめ、錫財閥との対決を図った。 1938年 チャコ戦争が正式に終結。ブエノスアイレス講和条約によりチャコ地方がパラグアイの領土となる。領土が最大時の約半分になる。この時期にヘルマン・ブッシュはナチスの躍進するヨーロッパからユダヤ人の受け入れを宣言した。 1939年 ヘルマン・ブッシュが暗殺される。 1941年 ビクトル・パス・エステンソロやゲバラ・アルセ(スペイン語版)らにより、民族革命運動党 (MNR)結成される。 1942年 カタピ鉱山の労働争議で鉱山労働者700人が虐殺される(カタピの虐殺)。 1944年 フアン・レチンにより、鉱山労働者組合連合が結成される。 1951年 MNRが大統領選に勝利するも、クーデターにより軍部に政権を奪われ、MNRは非合法化され、このことに対する国民の不満が高まる。
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