ブエノスアイレス講和条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 03:43 UTC 版)
「チャコ戦争」の記事における「ブエノスアイレス講和条約」の解説
1938年7月21日、ボリビアとパラグアイの間でブエノスアイレス講和条約が結ばれた。米州の有力諸国であるアルゼンチン・ブラジル・ウルグアイ・チリ・コロンビア・ペルー・アメリカ合衆国が中立の立場として講和を仲介した。この講和条約によって、広大なチャコ地方はパラグアイに帰属することが決まったが、チャコ地方は経済的にはあまり豊かな土地ではなく、失ったものに比べればパラグアイの得たものは少なかったと言えるだろう。 国境線はほぼパラグアイの主張通りに決定されたが、ボリビアはパラグアイ川につながる小さな領土(プエルト・ブッシュ)を獲得している。ボリビアの地図をよく見ると東側に小さく飛び出した部分があるが、これがその領土である。この領土とパラグアイ川を使ってボリビアは大西洋への水路を得たのであるが、現在はこの水路による流通はあまり重要なものとはなっていない。 この講和に力を尽くしたアルゼンチンの政治家、カルロス・サアベドラ・ラマス (Carlos Saavedra Lamas) は、1936年にラテンアメリカ初のノーベル平和賞受賞者となっている。
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