チャシの用途
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 16:20 UTC 版)
チャシの用途については現在でも諸説あり、結論は出ていない。チャシが文献に登場するのは17世紀以降で、殆どが和人の残した記録であるが、この時期にはアイヌ族と和人との間で戦争状態が続いていたこともあり、和人はチャシを砦として認識していたようである。例えば1670年に書かれた『寛文拾年狄蜂起集書』では、「シヤクシヤ在所を明け、チャシに籠居申候て不参候」との記述がある。一方、ユーカラではチャシは英雄の住居、牢獄などの性格を与えられていることが多い。 また宇田川が203カ所のチャシコツについて伝承を調査したところ、最も多かったのは戦闘に関する伝承で203件中95件、次に多かったのは神や英雄に関する伝承(ポイヤウンペ、オキクルミ、コロポックル、源義経など)で、同35件、その次がカムイミンタラ(神々が遊ぶ場所)や幣場など聖域であったという伝承で、同22件、見張り場であったという伝承は17件、チャランケを行う会談場であったという伝承は4件であった。 現在では、チャシの用途は複数あり、時代を経るにつれてチャシの主用途は変化していったのではないかと考える研究者が多い。すなわち、最初期のチャシは聖域としての性格が強く、次いでアイヌ族内での緊張状態の影響からチャランケの場として用いられるようになり、和人との戦いが激しくなると軍事施設としての役割が大きくなっていったのではないかとの見方である。さらに宇田川洋はチャシコツから宝物が見つかることが多いことを指摘し、チャシはアイヌの富裕層が蓄積した宝物を保存する施設だったのではないかとの説を提出している。 現代ではチャシコツは観光資源として利用されることもある。
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