豊州電気鉄道の設立と開業
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「豊後電気鉄道」の記事における「豊州電気鉄道の設立と開業」の解説
大分県の別府市(1924年まで速見郡別府町)と大分市(1911年まで大分郡大分町)を結ぶ電気鉄道を敷設する計画は、最初に元大分県一等警部の平塚恰が考案したとされる。平塚は話を愛媛県の実業家菊池行造に持ち込み、馬車鉄道の敷設を別個に計画していた大分郡の秦誠一郎らとともに共同で電気鉄道を敷設することとなった。1894年(明治27年)11月、別府町字南町から大分町字堀川へ至る軌道敷設特許を取得。日清戦争のため会社設立は遅滞するが、戦後の企業ブームで前進し、1896年(明治29年)8月5日、豊州電気鉄道株式会社の設立に至った。初代社長に愛媛の実業家菊池清治が就き、専務に菊池行造が就任した。 設立時の資本金は10万円。しかし設立後に秦が破産して資金不足となったため1898年(明治31年)2月に20万円へ増資している。また社長の菊池清治と専務の菊池行造も相次いで辞任し、発起人の行造は大株主として電車開業を支える立場に回った。同年7月、後任社長には中山東太郎という人物が就任するが、翌1899年(明治32年)8月に他の役員とともに総辞職。9月に神崎岩蔵(福岡県小倉市の人物)が第3代社長となった。 会社設立から4年経った1900年(明治33年)5月10日、別府停留場(別府町字南町)から堀川停留場(大分町字堀川)に至る、全長6マイル56チェーン(約10.78キロメートル)の電気鉄道が開業した。1895年(明治28年)の京都電気鉄道開業以来、日本で5番目、九州では最初の電気鉄道である。電源は別府町に設置した蒸気機関による火力発電所(出力110キロワット)で、車両は電動客車4両・付随客車2両(定員各40人)を動かしていた。別府・大分間の所要時間は約1時間。 その後路線は大分町側で延伸され、1901年(明治34年)11月29日に堀川から荷揚町停留場まで開業、翌1902年(明治35年)4月15日には南新地停留場(後の大分橋)まで延伸した。1902年5月からは貨車2両を導入し、旅客輸送に続いて貨物輸送も開始された。
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