豊州電気鉄道の設立と開業とは? わかりやすく解説

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豊州電気鉄道の設立と開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:45 UTC 版)

豊後電気鉄道」の記事における「豊州電気鉄道の設立と開業」の解説

大分県別府市1924年まで速見郡別府町)と大分市1911年まで大分郡大分町)を結ぶ電気鉄道敷設する計画は、最初に大分県一等警部平塚恰が考案したとされる平塚は話を愛媛県実業家菊池行造に持ち込み馬車鉄道敷設別個に計画していた大分郡の秦誠一郎とともに共同電気鉄道敷設することとなった1894年明治27年11月別府町南町から大分町堀川へ至る軌道敷特許取得日清戦争のため会社設立遅滞するが、戦後企業ブーム前進し1896年明治29年8月5日豊州電気鉄道株式会社の設立至った初代社長愛媛実業家菊池清治就き専務菊池行造が就任した設立時資本金10万円。しかし設立後に秦が破産して資金不足となったため1898年明治31年2月20万円増資している。また社長菊池清治専務菊池行造も相次いで辞任し発起人の行造は大株主として電車開業支え立場回った同年7月後任社長に中山東太郎という人物就任するが、翌1899年明治32年8月に他の役員とともに総辞職9月神崎岩蔵福岡県小倉市人物)が第3社長となった会社設立から4年経った1900年明治33年5月10日別府停留場別府町南町)から堀川停留場大分町堀川)に至る、全長6マイル56チェーン(約10.78キロメートル)の電気鉄道開業した1895年明治28年)の京都電気鉄道開業以来日本5番目、九州では最初電気鉄道である。電源別府町設置した蒸気機関による火力発電所出力110キロワット)で、車両電動客車4両・付随客車2両(定員40人)を動かしていた。別府・大分間所要時間は約1時間その後路線大分町側で延伸され、1901年明治34年11月29日堀川から荷揚町停留場まで開業、翌1902年明治35年4月15日には南新地停留場(後の大分)まで延伸した。1902年5月からは貨車2両を導入し旅客輸送続いて貨物輸送開始された。

※この「豊州電気鉄道の設立と開業」の解説は、「豊後電気鉄道」の解説の一部です。
「豊州電気鉄道の設立と開業」を含む「豊後電気鉄道」の記事については、「豊後電気鉄道」の概要を参照ください。

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