護衛艦に関する検討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:45 UTC 版)
「ハント級駆逐艦」の記事における「護衛艦に関する検討」の解説
1937年、本国艦隊司令長官バックハウス大将は、戦時急造に適した小型の駆逐艦の建造について言及した。1938年に第一海軍卿に就任すると、この構想について本格的な研究を指示した。 当時、イギリス海軍は2種類の駆逐艦を必要としていた、一つは大型の艦隊型駆逐艦で、もう一つが輸送船団の護衛を行うための護衛駆逐艦であった。イギリス海軍ではもともと、ロンドン海軍軍縮条約での制約が駆逐艦よりも緩いスループを船団護衛に充当する方針で、1931年度から1934年度計画でグリムスビー級、1933年度から1936年度計画でビターン級、1936年度計画でイーグレット級、そして1938年度計画でブラックスワン級と順次に整備が進められていた。また1936年からは、第一次世界大戦中に建造されたV/W級駆逐艦を対空・対潜護衛艦に改装するWAIR改修も発動されていた。 しかし当時、艦隊型駆逐艦としては、新型艦砲を搭載するため大型で高コストのL級・M級が建造されており、建造ペースは年に9隻という状況であったため旧式駆逐艦の代替が追いつかず、護衛艦として改装できる旧式駆逐艦にも限度があった。このため、まず艦隊型駆逐艦として、設計をJ級とI級の中間的なものに差し戻した中間的駆逐艦が検討された。これはのちに、O級を端緒とする戦時急造駆逐艦へと繋がっていくことになる。 一方、バックハウス第一海軍卿は、依然として廉価型・小型駆逐艦という構想を温めており、1938年5月にグドール造艦局長(DNC)に対して試案の作成を指示した。当時駆逐艦設計部門長であったコール造船官は「このような艦は安価にならず、砲兵装の供給不足も起きているため、最初の艦が就役するのは最初の設計図が出来てから2年半はかかる」と指摘したものの設計作業は進み、9月には「QF 4インチ連装両用砲」2基と12.7mm4連装機銃2基を搭載した25ノット艦案、加えて4連装魚雷発射管を1基搭載した30ノット艦案の2つが固まった。両案は悪天候時にも航洋性を保つため、フィンスタビライザーの搭載が予定されていた。 同年9月28日には30ノット案を元に両用連装砲3基とし魚雷発射管を取りやめる認可が軍令部長によって裁可され、改設計案がまとめられた。しかしこの改設計案を見たグドール造艦局長は全長を83m、建造費を当時建造中であったJ級・K級駆逐艦並の39万ポンドに抑え、合わせて兵装と航続力についても再検討するよう命じた。この結果航続力は就役後に航続力不足に悩まされるほど必要最低限なレベルに削減されたが、ソナーや爆雷の装備、弾薬量の増加、乗員増加によるスペース確保等の追加要求により最終的な予定建造費は40万ポンドまで膨らんだ。この時点での計画兵装は4インチ連装両用砲3基、12.7mm4連装機銃2基、爆雷投射機2基、投下軌条1条、爆雷20個であり、18,000馬力で最大速力29ノットであった。
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