誘拐殺人計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 08:39 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「誘拐殺人計画」の解説
一方、Mは1979年7月、北野とともに自動車展示会に出掛けたことをきっかけに、犯行に用いた日産・フェアレディZ(ナンバー:富33な2832号)を代金230万8,000円で購入した。当時、フェアレディZを売ったセールスマン(第一審の第23回公判で証人として出廷)は、当時交渉した北野が「大宮の方の仕事の関係で、8月末に金が入る」と話していたことを証言している。しかし、それが主な原因となり、Mは後に自己名義の借り入れを重ねるようになった。Mは1980年(昭和55年)に入って以降も、返済の資金調達のため、結婚相談所で知り合った男性・丙のほか、母親の実弟(叔父)やサラリーマン金融からも次々と融資を受け、1980年2月23日時点で約300万円の借金を抱えていたが、返済の目処は一向につかない状態に陥っていた。一方、北野は当時、(後に検察官が両者の謀議場所と位置づけた)喫茶店「小枝」のマスターに対し、「今の(『北陸企画』の事務所より)安い事務所を探しているので、紹介してほしい」と相談し、2か所の事務所を紹介されたが、Mが反対したため、1980年2月末までは従来の事務所に残ることになった。 Mはこのように累積した借金を一気に弁済するとともに、富山を離れて東京周辺に移り住みたいというかねてからの希望を実現するため、その後進展のない保険金殺人以外にも、大金を獲得する方法について思案。同年1月ごろまでには身代金目的の誘拐を思いつき、石川県金沢市・富山市内などで下見を重ねながら計画を具現化させ、「幼児は対象としない。したがって、誘拐した以上は顔を覚えられてしまうので、相手を殺害する」という決意を固めた。Mは誘拐を実行するため、同年2月初旬には事情を知らない北野に、4日間連続で金沢まで車を運転させたが、この時には失敗に終わった。さらに、同月11日および19日にはそれぞれ単身でフェアレディZを運転し、金沢や富山で20歳代の若い男性をドライブなどに誘い出すことに成功したが、完遂の決断がつかず、断念している。しかし、その後も借金の一部が返済期限を過ぎるなど、より一層大金獲得の必要性が強まる状態にあったため、Mは「若い女性を対象とした身代金目的の誘拐殺人を早急に実現しなければならない」と決意した。 一方、北野は当時の状況について、公判で「先述の『東京の男』の出所予定である1980年1月、Mに対し『東京の男』から金をもらうよう催促したが、『出所しても(その男が)警察から目をつけられているので、まだ金はできない。2月末に北陸企画を閉めてから上京して、男と相談する』と言われた。同時に、それとは別に土地を売却して金儲けをすることを持ち掛けられ、1月10日ごろにMから『金沢で見たい土地がある』と頼まれ、一緒に金沢へ行った。2月に入ると、『金沢の男』と組み、金沢のいわくつきの土地を他県の不動産業者に売却して大金を得る計画を持ち掛けられ、6日 - 9日まで4日間連続でMを乗せて金沢まで運転した。2月19日ごろ、Mから取引が間近に迫っていることを告げられ、『金沢の男』が作成した土地の図面を『滋賀の男』に売って得た金の護衛役として、金沢まで迎えに来るよう頼まれた」と述べている。
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