訪日まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 22:59 UTC 版)
1860年にパリで生まれる。父は官吏、母はパリの名門出身の画家。母の影響を受けて幼い頃から絵を描き始める。4歳のとき妹が生まれ、8歳の時に父が亡くなる。1871年3月から5月にかけてのパリ・コミューンでは、その成立から崩壊にいたるまで、燃えさかるパリの街や戦闘・殺戮をスケッチして回っている。 1872年にエコール・デ・ボザールに入学して絵を学ぶが、家計を助けるために1876年に退学して挿絵の仕事を始める。在学中はジャン=レオン・ジェロームや肖像画で知られるカロリュス=デュランの指導を受けた。退学後、サロンに出入りして、日本美術愛好家として知られたフェリックス・ビュオやアンリ・ゲラールから日本美術についての知識を得、挿絵の仕事で出会ったエミール・ゾラやエドモン・ド・ゴンクールなどからもジャポニスムを知るようになる。1878年、フェリックス・レガメが旅行記『日本散策』を出版、同年のパリ万国博覧会では浮世絵と出会って興味を抱く。この頃銅版画の技法を学んだ。また1880年には美術研究家ルイ・ゴンスによる大著『日本美術』の挿絵を一部担当した。 1881年にはエミール・ゾラの小説「ナナ」の単行本向けに挿絵17枚を寄稿する(複数の挿絵画家の一人)。人気作品の挿絵を担当したように、フランスで既に一定の知名度を得ていたが、日本への思いは強く、渡航を決断する。陸軍大学校で当時教官を務めていた在日フランス人のプロスペール・フークの伝手を得て、この年の暮れにマルセイユ港を発ち、1882年(明治15年)の1月、21歳のときに訪日した 。
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