計帳と課役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 21:15 UTC 版)
戸籍と同じように、律令時代の人口(人頭)を知ることの出来る史料として、計帳がある。計帳は、課役を徴収するための基本台帳である。毎年作成された。そこには人口、性別、年齢から一人ひとりの身体的特徴までが里長(郷長)によって書き上げられていた。国ごとにまとめられて調(ちょう)、庸(よう)、雑徭(ぞうよう)、軍役など、課役賦課の基本台帳とされた。 計帳の作成には、三段階あり、三種の文書が出来上がった。一を手実(しゅじつ)、二を歴名(れきみょう)、三を目録という。 手実とは、戸主が作成し、毎年六月末日までに京職や国司に提出する申告書である。戸主以下全戸口の姓名・年齢・続柄を書き上げた文書である。当時の識字層からみて、郡司や里長が手実の作成を代行する場合も多かったであろうと推測される。この手実に基づき、官司では歴名・目録が作成された。 歴名はちょうど戸籍のように、各戸の手実の内容を一里(五十戸)分列挙して、一巻の帳簿に編成したものである。各戸ごとに負担すべき調庸額が記録され、おそらく里全体の調庸額も記録され、前年との戸口の異同が詳細に示されていた点が戸籍と異なる。 目録は、具体的な戸の内容を記載していない。数字だけの統計文書である。一国及び各郡の戸数・口数が課役負担の有無を基準として詳細に集計され、前年度との異同、及びその年の調、庸額が示される。令規定に毎年八月末日までに京に進上するべく義務づけられた計帳とはこの目録を指し、京都ではこれによって毎年の歳入予定を知るとともに、全国の口数、特に課口数を掌握していたのである。なお歴名の作成・京に進上の規定は令にはない。 成年男子の21歳から60歳までを正丁(せいてい)といい、課役の対象となった。 調は、その地域の特産物で、一定量の絹、絁、糸、綿、布などの繊維製品、塩、鰒、海藻、堅魚などの海産物や鉄、それに調副物として油、染料、海産物、山の幸など、様々な物品から成っていた。 庸は、年10日京都へ出て使役される歳役の代納物である。 しかし平安時代に差し掛かると、課役を逃れるため虚偽の戸籍が横行した(例:備中国邇磨郷など)。
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