見解と論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/11 14:30 UTC 版)
「エスファンディヤール・ラヒーム・マシャーイー」の記事における「見解と論争」の解説
2007年、ラヒーム・マシャーイーはトルコで出席した式典では、伝統的なダンスを女性が踊っており、イスラームの保守的解釈では女性のダンスを禁止していることから論争的なものとなった。 2008年、テヘランで主催した式典では、読誦のためにコーランを壇に運ぶ間、数人の女性がタンバリンを打ち鳴らす場面があった。強硬派は祝祭気分でコーランに対する崇敬を欠くものと見た。 また、ラヒーム・マシャーイーは複数回にわたって親イスラエル的ともいえる公式発言をしている。イラン人は「世界の全ての人々の友である。イスラエル人さえも」。そして、諸々の紛争はイスラエル政府との間のものに過ぎない、と。また別の場所で「世界のいかなる国民も我らの敵ではない。イランは合衆国民の友であり、イスラエル国民の友である。これは誇るべきことである」と発言。マシャーイーはイスラーム法学者や議会の保守派議員から批判を受け、さらには最高指導者アーヤトッラー・アリー・ハーメネイーからイスラエル人についての発言を「非論理的である」として批判されている。しかしながら、この発言はマフムード・アフマディーネジャードから慎重な言い回しで支持を受けた。 2010年8月6日、在外イラン人との集会での、イランの国教たるシーア派イスラームよりむしろイラン的思想を世界に広めるべきである、とするスピーチによって保守派の反発を受けている。またこの時、マシャーイーはイランでのイスラームこそが「純粋なイスラームであって、他の国で、あるいは他の国によって解釈されるイスラームがそれではない」と発言。そして、イラン無くしては、イスラームは失われる、他のイスラーム諸国は、唯一「真正な」イスラームを持つがゆえにイランを恐れているとし、衝撃を与えた。 イラン軍統合参謀長ハサン・フィールーザーバーディー将軍はマシャーイーの発言について「国家安全保障に対する犯罪である」とし、イスラーム世界との軋轢を生むと発言している。また、アーヤトッラー・アフマド・ハータミー(英語版)は、「イランの教えとイスラームの教えを同等視することは、イランの人々が受け入れることのなかった異教的ナショナリズムである」と発言。さらに強硬派イスラーム法学者モハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディーはマシャーイーが「一度ならず二度までも誤謬にして不適切な発言をなした」として非難している 。 マフムード・アフマディーネジャードは会議で「批判する雰囲気は必要なものである。しかし誰も彼の観点について論難するべきではなく、またいかなる意見の相違も争いにつながるべきではない……マシャーイーの言いたかったことは、イランは文化・文明を持つ国であり、それによってその主義としてイスラームを選んだのだ、ということである」と発言し、マシャーイーを弁護している。多くの抗議と批判にもかかわらず、マシャーイーはいかなる発言の撤回もしていない。 マシャーイーは「逸脱した潮流」、あるいは「歪曲集団」と「関係する」とされる。これらの集団はテヘラン・タイムズによると、シーア派の救世主としての差し迫ったイマーム再臨にとりつかれ、イスラーム法学者への敬意を欠いた集団であるとされる。すなわち「マシャーイーとその側近集団たる」テヘラン組のことである。最高指導者アリー・ハーメネイーに忠誠を誓う情報機関のキャリーム・サージャドプール(英語版)によると盗聴器を用いて盗聴した結果、マシャーイーとその支持者の「個人的」会合で、マシャーイーが「法学者に代わる計画」を話していたという
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