見解と考え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/17 01:14 UTC 版)
パナリンは、ロシアは超大国であることは支持するが、帝国主義的野心は現在はないと主張する[要出典]。また彼はニコライ・トルベツコイの汎ユーラシア主義を支持する[要出典]。 パナリンはヴラジーミル・レーニンとレフ・トルストイを批判するが、ヨシフ・スターリンを評価する。これはジョゼフ・ボロッツキー、フィロフェイ、ニコライ・ダニレフスキー、コンスタンティン・レオンチェフの、古いロシアの地政学の考えを総合した、スターリン自身による地政学的研究をスターリンが重要視していたからである。パナリンの見解によれば、1934年以後にスターリンは新しい歴史的な条件の下、ロシア地域での教義「モスクワは第三のローマ」の再現(つまりは大粛清)を開始した。 1941年7月3日、スターリンはソ連国民に対して「兄弟・姉妹たちよ」と呼びかけた。 この教義はロシア地域の地政学的意見を支配し始め、レーニンとトロツキーの思想である世界革命という外部の(輸入した)地政学的研究を置き換えた。「モスクワは第三のローマ」と言う思想に結びつくトルベツコイのユーラシア主義はソ連の秩序の下で一つの結果を生み出した。それはソ連が世界でのファシズムとの戦闘で勝利を勝ち取ったと言うことである。トロツキー主義者は20世紀の終わりに米国で勝利し、現代アメリカのエリートの一部であるリベラル派のグローバリズムというイデオロギーを彼ら自身に輝かしく見せつけることとなった。 パナリンは最後のソビエト連邦共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフの活動を非難している。ゴルバチョフが書記長に就いて20周年の時に、パナリンは彼を「ロシアのアンチヒーロー」と呼んだ[要出典]。 パナリンの提案によれば、「ソ連を崩壊させたこととソ連国民への犯罪についての、ゴルバチョフへの公の裁き」と呼ばれる行動を、ポータルサイトKM.ru で2005年の12月2日から22日まで起こし、結果として56,298人がゴルバチョフを糾弾した。 パナリンは1990年のヒューストンプログラムに反対した。またロシアの財相アレクセイ・クドリンがこれを支持したとの理由で批判し、ロシアでの2008年の経済危機はこれの一部だとした。彼はウクライナにルーブル建のみでガスを売るべきだと主張し(彼の主張はNATOへの統合に対して壁を自動的に作ることになる)、アメリカの「フィナンシャル・チタニック」から全ロシア資金を引き上げ、金を買って強力なロシアの銀行を作り上げるべきだと主張した。 彼はまたルーブル建のみを認めるべきだとも助言した。
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